軍隊の怪談 1 衛兵勤務 | 戦車のブログ

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軍隊や自衛隊は怪談の宝庫である。

 

戦場の怪談も多々あるが、軍隊の怪談は兵営であったり、自衛隊なら営内であったりする。

 

特に自衛隊で言うところの特別勤務である「警衛」や旧軍で言う「衛兵」勤務でよく「幽霊」を見たりする。

 

「警衛」「衛兵」は駐屯地や基地の警備にあたる。

 

営門に立哨し営門出入者の監視に任じたり、人気の無い弾薬庫に夜間に立哨したりする。

 

夜間は動哨警戒もするし、「心霊スポット」のような駐屯地内を夜間に歩くことになる。

 

私もそういう勤務でそういう体験を幾つもしたし、幾つもその手の話を聞いた。

 

 

そういう旧軍の話を幾つか紹介しよう。

 

兵隊小説家として知られる棟田博の「陸軍よもやま物語」より。

 

棟田博は陸軍伍長として支那事変で負傷した。

 

昭和初期に岡山の歩兵第十聯隊で現役入営した。

 

昭和期の戦争の無い時代の軍隊の兵営の話を書いた作家として私は大好きな作家である。

 

 


  軍隊の勤務のなかで、もっとも重大とされるのは衛兵勤務である。

 


  衛兵には、風紀衛兵と衛戍衛兵とがあって、前者は連隊内の正門、裏門、軍旗、火薬庫等に歩哨を配置して営内の警戒にあたり、後者は、営外の火薬庫地区に派遣されて、もっぱら火薬庫の警備にあたった。

 


  衛兵司令には下士官が任ぜられ、その下に歩哨係と衛舎係の上等兵が各一名ずつ、ラッパ手一名、その他は一、二等兵の編成である。

 


  衛兵勤務は二十四時間であるが、勤務中の事故はたいそう処罰が重い。

 

まかり間違うと、重営倉ではすまず、軍法会議にまわされることがある。

 


  にもかかわらず初年兵は、剣呑至極なこの勤務につけられる日を、ひたすら待ちのぞむのだった。

 

衛兵勤務に早くつく初年兵は成績優秀とされていたからである。

 


  午後二時二十分。衛兵交替のラッパが鳴る。上番衛兵は営庭に整列して、週番副官の服装検査をうけ、週番司令に「頭ア中!」の敬礼を行ない、さて、交替となる。

 


  風紀衛兵は営門わきに衛兵所があるが、衛戍衛兵のそれは、四キロほど離れた半田山山麓にある。火薬庫地区は安全性を顧慮して、人家に遠い、沢の深い場所を選んであって、周辺は、うっそうたる木立ちで、昼間でもフクロウが啼くようなさびしいところであった。

 


  さて、ここにはじめて勤務につく初年兵は、かならずモサにおどかされるしきたりになっていた。

 


 「おい、お前は北火薬庫の四番立ちか。すると午前一時から二時までだな。悪い時間だなあ」
  と、なにかいわくありげにいう。

 


 「悪い時間とは、どういうことでありますか」

 


  訊ねると、他のモサが、そばから、


 「聞かんほうがええぞ」


  などというから、よけい、聞きたくなってせがむと、


 「北火薬庫の土塁下の古井戸に、歩哨が身投げして、死んだ。ずいぶん前のことだがな」

 


 「なぜ、身投げしたんですか」

 


 「一時から二時の歩哨中につい居眠りをしていたそうだ。やつは運が悪かった。ちょうどそこへ巡察将校がきた。そいつがまた意地の悪いやつで、こっそり銃を取り上げて、衛兵所へ持って帰ってきた。衛兵司令も青くなったが、もっと青くなったのは居眠りからさめた歩哨だ。なにしろ歩哨中に銃をとられたとあっては、タダではすまない。軍法会議ものだ。で、悲観して飛びこんだというわけさ」

 


 「そ、それでどうなったんですか」

 


 「それ以後、一時から二時の間に、ときおり聞こえてくることがある」

 


 「な、なにが聞こえてくるんですか」

 


 「古井戸の底から、陰気な声が、返してくれェ、銃を返してくれェ……とな」

 


  どこの連隊にも、このテの怪談ばなしが一つや二つは、あったものである。

 

 

軍隊の怪談話どうでしたか?

 

実はこういう話は自衛隊にもあって、旧軍の昔からあるんですよね。

 

 

私も警衛勤務の時に後輩にこういう怪談をよく聞かせてやったものです。

 

 

悪い古兵でしたねにひひ