戦時中の米軍地図に“動かぬ証拠”…竹島を「Take」と表記 「独島」呼称、認識されず | 戦車のブログ

戦車のブログ

戦車のことなど書いてます。
アメンバー・メッセージ、ペタは受け付けていませんので御了承下さい。
ブログの内容・文章・画像を許可無く無断転載を禁じます。
悪質な場合は著作権侵害となりますのでご注意下さい。

 

まぁそもそも「独島」なんて名称の島なんて戦後勝手に韓国が「竹島」に名付けて不法占領しただけだからね、幾ら歴史的に調べても独島なんて存在しない。

 

 

以下産経ニュースより転載

 

 

 

 第二次大戦中、米国が竹島(島根県隠岐の島町)について「Take」と表記した地図が見つかり、島根県に寄託されていたことが22日、分かった。

 

 

当時、日本の統治下にあった朝鮮半島について、この地図では「鬱陵=Utsuryo」など元の表記を日本語読みした地名の記載が大半。

 

 

竹島の呼称が一般化していたことを示す資料となりそうだ。

 

 

 

島根県竹島対策室によると、地図は、米国軍が戦時中の1945(昭和20)年5月に制作した布製の航空図「エスケープマップ(脱出地図)」(83センチ×78センチ)。

 

 

日本侵攻に参加するパイロットらが遭難したり撃墜されたりした際に使用するよう携帯させた。

 

 

 400万分の1の縮尺で、一方の面には日本と南シナ海、もう一方の面には東シナ海が描かれ、季節ごとの風向きが異なる色で図示されている。

 

 

 

竹島問題の研究者が大阪府内の古書店で見つけ、島根県に寄託した。

 

 

 地図では鬱陵島や済州島などは「Utsuryo」「Saishu」などと表記されているが、竹島は「Take」と記載。竹島をめぐり、韓国政府は日本が編入する1905(明治38)年より前から「独島」と呼ばれていたと主張するが、少なくとも1945年当時の米国側に、この島は「独島」だという認識はなかったとみられる。

 

 

 島根県竹島問題研究顧問の下條正男・拓殖大国際学部教授(日本史)は「『独島』という呼称が、当時の米国には認識されていなかったということ。

 

 

こうした事実の積み重ねが、竹島が日本固有の領土であることの立証につながる」と話している。

 

 

(産経ニュース)

 

 

韓国という国が外国からどう見られてもファンタジーの世界に生きる韓国人は恥とも思わないし、証拠があっても決して認めないだろうね。

 

地道な証拠集めもこういう国に突きつけてもなんとも思わないのが韓国人だ。

 

 

それでも国際的に日本領であることを任地させるために地道な証拠固めをして国際世論にどんどん力を入れて欲しいものだ。