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マーケット・ガーデン作戦、四日目、1944年9月20日(水)。
アーネムではフロスト中佐の第1パラシュート旅団第2大隊は持ちこたえ続けた。
正午近くに無線機が回復し彼らは英第1空挺師団の残りがドイツ軍を排除する可能性を持っておらず、英第30軍団が彼らの南、ナイメーヘン橋の正面に釘付けにされていることを知った。
午後までにドイツ軍はアーネム橋を完全に支配しており、フロスト達イギリス軍が防御していた家屋への砲撃を始めた。
師団の残りはアーネム西方のオーステルビークに防衛拠点を形成し、英第30軍団の到着を待った。
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ナイメーヘンでは前日の夜に要請したボートが到着した。
午後一時、イギリス本土から飛来してきた航空支援の予定時刻にあわせて"オールアメリカン"第82空挺師団・504連隊の26艘の手漕ぎボートは機関銃掃射と迫撃砲のなか渡河を強行した。
この渡河は戦史における最も勇敢な行動の一つとして見なされた。
彼らは河岸を確保し、ついで鉄道橋を確保し(ここは戦車での渡橋は不能)、北岸の機銃台座や要塞を攻撃しはじめた。
北岸の防衛が崩れだすとナイメーヘン道路橋南岸を確保していたドイツ兵も敗走を始めた。
南岸の英第30軍団(コールドストリームガーズ連隊)の車両は道路橋を蹂躙攻撃し、北岸の504連隊と合流した。
ビットリッヒの部下たちが設置した爆破装置はなぜか起爆せず、ナイメーヘン橋は四日目にして連合軍の手に落ちた。
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アーネムの友軍への道は確保されたが、英第30軍団の車両は進軍を停止した。
ナイメーヘンからアーネムへの街道はオランダに特有の低湿地帯に築かれた台状の上を走るもので、歩兵支援のない車両の単独走行は対戦車砲の格好の標的になる危険があった。
第82空挺師団の将兵は激昂して即座の進軍を主張したが、英第30軍団は安全を優先した。
すなわち後方からの陸軍歩兵部隊の到着を待ち、歩兵支援を受けたうえでの進軍を選択した。
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その間にドイツ軍は街の東側の丘からの別の攻撃を組織した。
アーネム橋を死守するフロストの部隊が救援される最後の希望は失われた。
アイントホーフェンでは第101空挺師団と様々なドイツ部隊との戦闘は継続しており、結局弾薬不足の車両を残して数両のパンターの再突撃が道路を分断した。