1945年6月21日、沖縄戦で菊水十号作戦が実施された日。
菊水作戦は、太平洋戦争末期、連合国軍の沖縄諸島方面への進攻(沖縄戦)を阻止する目的で実施された日本軍の特攻作戦である。
作戦名の「菊水」は楠木正成の旗印に由来する。
作戦は第一号(1945年4月6日-11日)から第十号(6月21日-22日)まで実施され、その後も終戦までの間、断続的に特攻が続けられた。
沖縄諸島周辺での特攻作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死した。
特攻作戦と連動して、艦上攻撃機「天山」や陸上爆撃機「銀河」、海軍指揮下の陸軍雷撃隊に所属する四式重爆撃機「飛龍」(海軍名:「靖国」)などによる夜間雷撃や、艦上爆撃機「彗星」12型などを主力とする芙蓉部隊、水上偵察機(実質的には水上爆撃機)「瑞雲」による夜間爆撃なども実施された。
また、菊水1号作戦時には、航空総攻撃に呼応して、戦艦大和の水上特攻が実施された。
3月18日、ミッチャー中将率いる空母12隻を基幹とするアメリカ海軍第58機動部隊が九州沖に接近し、本作戦の前哨戦ともいうべき九州沖航空戦が開始された。
連合国軍の沖縄進攻は確実な情勢となり、3月20日、大本営は沖縄防衛のための天号作戦を下令する。
参加兵力は、海軍の第5航空艦隊・第1機動基地航空部隊(在九州、司令長官:宇垣纏中将。なお、海軍指揮下の陸軍雷撃隊所属の雷撃機型の四式重爆撃機「飛龍」部隊2個飛行戦隊を含む)、第5基地航空部隊(在台湾)、および第3、第10航空艦隊の一部を主体とし、陸軍の第6航空軍(在九州、司令官:菅原道大中将)と第8飛行師団(在台湾、師団長:山本健児中将)も連合艦隊司令長官の指揮下に入ることとなった。
そして、特攻作戦として海軍の「菊水作戦」と陸軍の「航空総攻撃」が準備された。
4月1日、大本営では「昭和二十年度前期陸海軍戦備ニ関スル申合」が行われ、「陸海軍全機特攻化」が決定された。
同日、連合国軍は沖縄本島に上陸を開始した。
沖縄諸島近海に集結した連合国軍艦隊に対し、日本軍では九州沖航空戦の終結後から菊水1号作戦の実施前日まで、連日、特攻を含む陸海軍機による攻撃を散発的に実施したが、結局、連合国軍を阻止することはできなかった。
4月6日正午、海軍の特攻作戦「菊水一号作戦」と陸軍の作戦「第一次航空総攻撃」が発令された。
菊水十号作戦
「菊水十号作戦」・「第十一次航空総攻撃」(6月21日 - 22日)
23日、第32軍司令官牛島満中将が自決し、沖縄本島での日本軍の組織的抵抗は終わった。
大規模な特攻作戦も、21日に発令された「菊水十号作戦」と「第十一次航空総攻撃」が最後となった。
16日から22日にかけて、海軍は作戦機271機、うち特攻機67機を投入し、28機の特攻機が未帰還となった。
この間、目だった戦果は16日に駆逐艦「トウィグス」を雷撃により撃沈した程度であった。
駆逐艦「トウィグス」
その後
沖縄戦の終了によって菊水作戦も終了したが、その後も沖縄本島の兵站基地化を妨害するために散発的な特攻作戦は終戦まで続けられ、有為な若者の血が流され続けた。
7月29日、海軍の93式中間練習機「赤とんぼ」で編成された神風特別攻撃隊「龍虎隊」による攻撃で駆逐艦「キャラハン」が撃沈された。
これが特攻によって撃沈された最後の艦となった。
駆逐艦「キャラハン」
終戦の日3日前の8月12日夜半には、沖縄本島の中城湾(陥落後、アメリカ軍によって「バックナー湾」と名付けられていた)に停泊していた戦艦ペンシルベニアが、鹿児島県・串良基地から出撃した第五航空艦隊指揮下の第931海軍航空隊・攻撃第251飛行隊所属の艦上攻撃機「天山」4機からなる夜間雷撃隊による夜間雷撃を受け、そのうちの1機が発射した航空魚雷1本が艦尾付近に命中して浸水・大破した。
8月15日、菊水作戦を指揮した宇垣纏中将は、終戦の玉音放送を聴いた後に、艦上爆撃機「彗星」で出撃して「最後の特攻」を行い、沖縄諸島方面で戦死した。
沖縄諸島周辺での特攻作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死した。
そのうち133機が命中、122機が至近弾となり、アメリカ軍の艦艇36隻を撃沈し、主力艦艇の多数を損傷させた。
菊水作戦によるアメリカ軍とイギリス軍の戦死者は4,907名、負傷者は4,824名に上った。
第二次世界大戦におけるアメリカ海軍の艦艇の喪失の7分の1は沖縄諸島周辺海域におけるものであり、その8割は特攻による戦果である。
しかし、菊水作戦では遂に1隻の戦艦も、空母も、巡洋艦も撃沈できなかった。
そもそも特攻機は爆弾を搭載しているとはいえ、構造が脆弱な航空機の機体をぶつけても貫通力は乏しく、装甲で防護された大型艦には致命傷を与えにくい。
特攻では命中時の速度が航空機の降下速度と同じ時速650キロ程度にとどまり、高空から爆弾だけを投下して重力で加速させた場合よりも遅く、貫通力が小さくなってしまう。
アメリカ海軍艦艇のダメージコントロール能力も優秀で、搭載弾薬の誘爆を起こしてすら沈まなかった艦もある。
また、連合国軍の対特攻防御戦術も進歩していた。
戦闘機とレーダーピケット艦の連携による防空網は、犠牲を出しながらも日本機の主力部隊への接近を効果的に阻止しており、日本軍が撃沈できた艦船の多くはレーダーピケット任務の小型艦艇であった。
初期の特攻が成果を上げ得た、奇襲という前提条件はもはやなくなっていた。