珊瑚海海戦 5月7日の戦闘 | 戦車のブログ

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珊瑚海海戦(さんごかいかいせん, Battle of the Coral Sea)は、太平洋戦争(大東亜戦争)で大日本帝国海軍(以下日本海軍)と連合国(アメリカ合衆国・オーストラリア)軍のあいだで発生した海戦のひとつ。


1942年5月8日、珊瑚海で日本海軍の空母機動部隊とアメリカ海軍を主力とする連合国軍の空母部隊が交戦し、史上初の航空母艦同士の決戦となった。



また、この海戦は対抗する両艦隊が互いに相手の艦を視界内に入れないで行われた、歴史上最初の海戦でもある。



珊瑚海海戦の5月7日の戦闘を紹介する。



連合軍の損害が正規空母1隻沈没・1隻大破なのに対し日本海軍の損害は正規空母1隻大破・軽空母1隻沈没であったが、日本海軍も多数の航空機と搭乗員を失い、ポートモレスビー攻略という作戦目標を放棄せざるを得なくなった。



また、これが日本初の空母損失であった。この海戦の戦果から過大な大本営発表が行われるようになった。




5月7日、第四艦隊司令長官井上成美中将は、水上機部隊に「デボイネ南東165浬にある敵航母に蝕接を確保せよ」と命じ、MO機動部隊には米軍機動部隊の撃滅を下令した。


ラバウルの第四海軍航空隊第二十五航空戦隊からは一式陸上攻撃機3機、ツラギから横浜海軍航空隊の九七式飛行艇4機も加わり、珊瑚海の索敵を行った。




MO機動部隊では、原少将が航空参謀の西方索敵案を却下し、南方重視の索敵を指示した。



午前4時(06:00)、第五航空戦隊「瑞鶴」と「翔鶴」から偵察機12機(九七式艦上攻撃機各艦6機)が発進した。



午前5時30分頃(07:30)、「翔鶴」偵察機2機(柴田飛曹長機、大竹 一飛曹機)が米軍空母、油槽艦、重巡洋艦発見を報告する。



原少将は、自らの南方重視索敵が的中したことで勝利を確信したという。




午前6時15分(08:08)、「瑞鶴」から長嶋崎重少佐率いる37機(零式艦上戦闘機9、九九式艦上爆撃機17、九七式艦上攻撃機11)が発進、「翔鶴」から高橋赫一少佐率いる41機(零戦9、九九艦爆19、九七艦攻13)、両艦合計78機が発進した。



ところが翔鶴偵察機の報告はタンカーと空母の艦型を見間違えたことによる誤報であり、午前7時15分(09:15)前後にMO機動部隊第一次攻撃隊が到着した時、実際にいたのは空母ではなく駆逐艦「シムス」と給油艦「ネオショー」であった。



日本軍攻撃隊は「ネオショー」を放置し、幻の米軍機動部隊を求めて付近の捜索を行った。



午前6時50分(08:50)、衣笠・古鷹偵察機より翔鶴偵察機の報告位置とは全く違う地点にサラトガ型航空母艦出現の情報が入った。



MO機動部隊は、まず南方の米軍機動部隊を撃破し(ネオショーの誤認に気付いていない)、続いて西方の米軍機動部隊(第17任務部隊)を撃破するという方針をたてた。



午前8時(10:00)、2機の翔鶴索敵機は自分達が発見した「航空母艦」の正体が「タンカー」であることに気付いた。



翔鶴索敵機は午前8時35分(10:35)になって「わが蝕接せるは油槽船の誤り」と報告(第一報より3時間10分、艦爆隊到着より1時間33分後)した。




MO機動部隊は恐慌に陥り、攻撃隊に帰投命令を出すと、西方の米軍機動部隊へ変針した。



MO機動部隊第一次攻撃隊のうち雷撃隊は攻撃を行わず帰路につき、午前9時30分(11:30)九九式艦上爆撃機36機のみで急降下爆撃を行った。



この攻撃で「シムス」は轟沈、「ネオショー」には米軍記録直撃8発・至近弾8発があり、さらに被弾した瑞鶴隊1機が体当たりを行った。



航行不能となった「ネオショー」は漂流し、5月11日に駆逐艦「ヘンレー」によって処分された。



翔鶴索敵機2機は母艦にたどりつけずインデスペンサブル礁に不時着、搭乗員6名は救助に向かった駆逐艦「有明」に収容された。



MO機動部隊は九九艦爆2機、九七艦攻2機を失った。




祥鳳撃沈



アメリカ海軍第17任務部隊では、(04:30)にSBDドーントレス索敵隊10機を発進させ、(06:25)に第17任務部隊から巡洋艦3隻・駆逐艦3隻からなるクレース隊を分離してジョマード水道へ派遣した。


クレース隊(重巡洋艦オーストラリア、シカゴ、軽巡洋艦ホバート、駆逐艦パーキンス、ウォーゲ、ファラガット)の任務は、第17任務部隊が敗れた場合、MO攻略部隊を攻撃して輸送船団を撃退することである。



午前6時頃(08:00)、北方へ退避する第十八戦隊と水上機母艦「神川丸」がB-17爆撃機の攻撃を受け、「神川丸」が小破した。


敷設艦「津軽」に対しても午前5時45分と午前10時30分にB-17少数機による爆撃があったが、損害はなかった。




午前7時35分(08:15)、ヨークタウン索敵機が「空母2隻、重巡洋艦4隻、全艦ヨークタウンの北西方向にあり」と報告、続いて周囲の索敵機が日本軍水上偵察機1機・雷撃機1機撃墜を報告した。



(09:25)、空母「レキシントン」から50機(F4Fワイルドキャット戦闘機10、 SBDドーントレス急降下爆撃機28、 TBDデバステーター雷撃機12)、空母「ヨークタウン」から42機(F4F 8、SBD 24、TBD 10)、合計92機が発進して日本軍機動部隊に向かい、艦隊には「レキシントン」にF4F8・SBD10、「ヨークタウン」にF4F 9・SBD 1・TBD 2が残された。




ところが(10:12)、豪州から飛来したB-17爆撃機2機が「空母1隻、輸送船10、その他艦艇16隻(MO攻略部隊)」の存在を発見、爆撃を行ったのち報告した。



つづいて九七式大艇(坂本大尉機)が第17任務部隊に接近し、迎撃に出動したF4Fが撃墜する。



直後にヨークタウン索敵機が帰還、先の「空母2隻、巡洋艦4隻」は『巡洋艦2隻、駆逐艦4隻』の送信ミスによる誤報と判明した。


フレッチャーは目標をMO攻略部隊に変更するよう指示している。



この時、MO攻略部隊は陸軍輸送船団の北北東25浬後方を航行していた。





五藤はMO機動部隊から米軍機動部隊発見報告(第五航空戦隊機密第857番電)を受信して空襲を受けることになると判断、軽空母「祥鳳」の戦力(零戦9、九六式艦上戦闘機4、九七艦攻6)では対抗不可能のため、輸送船団司令官梶岡定道少将に北西への避退を指示した。



日本軍各隊は、油槽艦「ネオショー」を米空母と錯覚していたため、現段階で米軍機動部隊が2群乃至3群あると判断している。




午前9時頃(11:00)、米軍レキシントン攻撃隊は「右舷に小さな艦橋がある大型の翔鶴型航空母艦」(祥鳳の誤認)、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦1もしくは駆逐艦1隻のMO攻略部隊を発見し、「祥鳳」も米軍攻撃隊の接近を認めた。



上空には旧式の九六式艦上戦闘機3機が直掩にあたっているだけだったが、彼らはSBDドーントレス1機を撃墜した。


「祥鳳」はレキシントン隊SBD 28機の急降下爆撃は全て回避したものの(米軍1発命中主張)、空襲中に零式艦上戦闘機3機を発進させた時点でレキシントン雷撃機隊・ヨークタウン攻撃隊の雷爆同時攻撃を受ける。



排水量1万3000tの小型空母に爆弾13発・魚雷7本(米軍記録10本)が命中。



「祥鳳」は午前9時31分(11:35)に沈没、直掩戦闘機は3機がデボイネ基地に着陸したが、残る3機は行方不明となった。



米軍はSBD 3機、F4F 2機を喪失し、「祥鳳」撃沈の他に存在しない重巡洋艦1隻の撃沈も主張している。




まず日本軍空母1隻を葬ったフレッチャーだが、撃墜した日本軍飛行艇や、レーダーに映った水上偵察機により第17任務部隊の位置が日本軍に報告されたと判断、他の日本軍機動部隊から空襲を受ける可能性を考慮して残存MO攻略隊の重巡洋艦や輸送船団に米軍第二次攻撃隊を送らなかった。



「祥鳳」沈没の速報により、第四艦隊司令部に衝撃が走った。





井上成美中将は、日露戦争初期に1日で戦艦2隻を失った東郷平八郎大将の心境を思い浮かべて平静を装ったが、動揺を隠せなかった。


『カルフォルニア型戦艦1隻、重巡洋艦1隻撃沈、ウォースパイト型戦艦大破』の報告が入ると、井上は「しめた!」と叫んだ程である。




基地航空部隊の誤認戦果



第17任務部隊の本当の位置を報告したのは、翔鶴偵察機ではなく衣笠水上偵察機だった。



ラバウルの山田定義少将は、第四海軍航空隊、元山航空隊に出撃命令を出し、ただちに一式陸上攻撃機12機(小林大尉隊、魚雷搭載)が発進した。



続いて九六式陸上攻撃機20機(石原大尉隊、250kg爆弾搭載)発進準備中に一式陸攻索敵機(古関機)から「戦艦2、大巡2、駆逐艦2。ジョマード水道に向かう」との報告が入る。



実際には、重巡洋艦オーストラリア、米重巡シカゴ、豪軽巡ホバート、駆逐艦2隻であった。



ニューギニア沖海戦で空母「レキシントン」に護衛機なしの陸攻17機を向かわせ13機を撃墜された日本軍は陸攻に護衛戦闘機をつける必要性を認識し、ラエ基地の台南海軍航空隊から零式艦上戦闘機11機(中島少佐隊)を燃料切れによる不時着救助前提で発進させた。



午前7時45分にラエを発進した零戦11機は、午前10時55分に誘導機と接触、米艦隊へと向かった。




午前9時(11:00)にブナカナウを発進した元山航空隊九六陸攻20機は、午前11時28分にMO攻略部隊の上空を通過すると米軍機動部隊を索敵した。



午前11時45分、「神川丸」水上偵察機が「戦艦2隻、巡洋艦2隻、駆逐艦5隻」の艦隊発見を報告、午前12時25分、九六陸攻1機がエンジン不調で反転した頃、第四海軍航空隊の索敵機が「航空母艦を発見せず。


敵兵力は戦艦2、大巡1、駆逐艦3」を打電した。



クレース隊の旗艦/豪州重巡洋艦「オーストラリア」を英戦艦「ウォースパイト」、米重巡「シカゴ」をカルフォルニア級戦艦と誤認したのである。



最初にクレース隊の上空に到達した部隊は台南空の零戦11機で、「戦艦1、巡洋艦2、駆逐艦3」と報告する。



零戦に対するクレース隊の砲撃により第二十五航空戦隊の一式陸攻隊は雲下の敵艦隊に気付き、2隊にわかれると挟撃雷撃を行う。



対空砲火で小林大尉/指揮官機を含む4機が撃墜され、クレース隊は被弾機の体当たりにより「オーストラリア」で火災が発生したものの、投下された魚雷を全て回避した。



四空は、「1隻が火災発生して左に傾斜、マストを水面にのぞかせるだけの艦」を報告し、さらに小関中尉/次席指揮官が「戦艦1隻撃沈」を平文で発信した。



クレース隊が一式陸攻雷撃隊に対空砲火を集中したため、午後12時30分頃(14:30)元山空の九六陸攻19機は余裕をもって水平爆撃を行った。


マレー沖海戦では英国新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」に爆弾を命中させた陸攻中隊だったため、大戦果という幻想があったが、本海戦の水平爆撃では1発の命中弾もなかった。



彼らは「戦艦2隻、巡洋艦2隻、駆逐艦2隻発見。



重巡洋艦オーガスタ爆撃、爆弾2発命中」と報告したが、搭乗員も戦果に確証をもてなかったという。


この後、オーストラリアから飛来したB-17爆撃機がクレース隊を誤爆、ダグラス・マッカーサー陸軍大将は米海軍の抗議を黙殺し、誤爆の事実を隠蔽した。



午後12時49分(14:49)、デボイネ基地の水上機部隊指揮官は、米艦隊がクレース隊と空母機動部隊の二手に別れていることを掴み、「神川丸」に報告した。



日本軍攻撃隊は零戦11機がガスマタに不時着、四空の一式陸攻隊は隊長機を含む4機を喪失、次席指揮官小関中尉機はラエ基地に不時着、別の1機がデボイネ基地に不時着、ブナカナウ基地に到着したのは出撃時の半数6機であった。




戦果は「艦型不詳戦艦1隻撃沈、重巡洋艦1隻大破」と過大に報告され、帰投後の戦果分析で四空と元山空の戦果はさらに水増しされ『カルフォルニア型戦艦1隻轟沈、英重巡キャンベラ型1隻傾斜火災沈没の算大なり、ウォースパイト型戦艦1隻大破停止沈没の算大』となった。



四空はクレース隊を8隻と認識しており、元山空は攻撃終了時に6隻残存と明確に報告したため、消えた戦艦2隻が沈没判定とされたという説もある。



山田少将は戦果に疑問を抱いたが、米戦艦撃沈・英戦艦大破という大本営発表を訂正することは出来なかったという。




日本空母の薄暮攻撃



午前11時(13:00)からMO機動部隊は第一次攻撃隊の収容を開始する。



「ネオショー」を爆撃した艦爆隊の収容は遅れ、収容完了は午後1時15分(15:15)だったという。



午後12時(14:00)、原は各隊に米軍機動部隊の正確な位置情報を求めた。すると各隊から次々に敵情報が入った。


情報を検討したMO機動部隊は、敵艦隊まで距離380浬と推定。



午後1時(15:00)距離の関係から7日中の攻撃を行わないと日本軍各隊に発信し、井上中将を含め日本軍各部隊を失望させている。




日本軍MO機動部隊は第一次攻撃隊を収容すると同時に索敵機4機を放ったが、米軍機動部隊の情報はなかった。


すると青葉索敵機より米軍機動部隊が北西方向への航行をやめて反転し、MO機動部隊との距離が縮まったという情報が入った。


午後3時20分の神川丸水偵結果、午後4時35分の九七式飛行艇偵察結果、いずれもクレース隊の位置報告であったが、原は第17任務部隊の空母2隻の位置情報と信じている。


午後4時30分(18:30)の時点で米軍機動部隊はMO機動部隊の攻撃圏内に入るが、薄暮攻撃になり帰艦は夜となるため三重野武航空参謀と大谷藤之助通信参謀は慎重論を唱え、山岡三子夫先任参謀は攻撃を主張、原忠一少将は先任参謀の強硬論を採用した。



下田久夫飛行長が瑞鶴搭乗員に作戦を説明したところ多くの者は出撃に賛同したが、艦攻搭乗員の中には護衛戦闘機のない攻撃に懸念を表す者もいた。


攻撃にあたっては、夜間着艦可能な熟練者のみを選抜している。



午後2時15分(16:15)、「瑞鶴」から艦攻9機・艦爆6機、「翔鶴」から艦攻6機・艦爆6機、計27機の攻撃隊が発進した。




米軍第17任務部隊の周辺海域は雲が多く、しばしば豪雨があり、ツラギ基地を発進した九七式飛行艇(魚雷装備)も悪天候のため引き返している。



その天候でも、レーダーは接近する航空機群を探知、空母「レキシントン」からF4Fワイルドキャット9機(哨戒機含む)、「ヨークタウン」からF4F 11機が発進、25浬まで接近したMO機動部隊薄暮攻撃隊の迎撃に向かった。



午後4時10分(18:10)から約10分間の戦闘で800kg航空魚雷を搭載した九七式艦上攻撃機16機は「レキシントン」のF4F 2機撃墜と引き換えに艦攻8機(瑞鶴5、翔鶴3)を喪失、動揺した瑞鶴艦攻隊の佐藤大尉は暗号を組まず『攻撃隊、敵戦闘機のため全滅す。われ索敵中』の第一報を発信した。



艦攻隊は四散してMO機動部隊に帰投したが、瑞鶴艦攻1機(横枕機)は第17任務部隊の空母2隻を視認、だが既に魚雷を捨てていたため、見送るしかなかったという。



翔鶴艦攻隊の損害には『操縦員戦死、偵察員操縦中』の電文を発信し、「翔鶴」付近で不時着行方不明になった荻原大尉機も含まれている。



艦爆隊は約10分間の空戦において損害を受けず、逆に「ヨークタウン」のF4F 1機(ベイカー中尉機)が未帰還となり、日没により帰還不能となることを恐れた米軍戦闘機隊は日本軍艦爆隊を放置して避退した。




日没6分後、高橋少佐/艦爆隊長は爆弾を投棄して帰投を命じ、約40分後に空母2隻を発見して「着艦ヨロシキヤ」と信号を送った。



「着艦ヨロシイ」の返答があって九九艦爆が「ヨークタウン」と「レキシントン」着艦体勢に入ったところ、日本軍・米軍双方が相手の正体に気付いた。



上空には日本軍艦爆隊の他に米軍戦闘機隊も着艦のため空中待機しており、日本軍艦爆隊は母艦へ戻るF4Fを味方機と誤認してついてきたという見解もある。



「ヨークタウン」のデイヴィス砲術長は「総員、斬り込み隊に備え」という命令を出したが、既に爆弾を捨てていた日本軍艦爆隊は退避するのが精一杯であった。



対空砲火で瑞鶴艦爆1機が撃墜されたが、日本軍艦爆隊は米軍戦闘機の追撃を振り切って帰投した。



高橋少佐は着艦すると翔鶴幹部に米軍機動部隊「サラトガ型空母、ヨークタウン型空母、戦艦1隻」が100浬(185km、九七艦攻で30分)で行動していることを訴えている。



また、すでに日が暮れており、夜間着艦により12機を損失し、無事帰還したのは6機のみとなった。




日本軍MO機動部隊の薄暮攻撃は、艦爆12機中1機(瑞鶴1)、艦攻15機中8機(瑞鶴5、翔鶴3)を喪失、他にも被弾機を出して失敗した。


MO機動部隊の使用可能航空戦力は、空母「瑞鶴」(零戦19、艦爆14、艦攻12)、「翔鶴」(零戦18、艦爆19、艦攻14)の合計96機、第17任務部隊は空母「ヨークタウン」(艦戦14、艦爆32、艦攻9)、「レキシントン」(艦戦17、艦爆34、艦攻12)の合計118機となり、航空戦力比で逆転していた。



水上偵察機部隊も連日の索敵で消耗し、零式水上偵察機6、零式観測機3、九五式水上偵察機3となっている。



MO攻略部隊指揮官五藤存知少将は攻略部隊の北方退避と「祥鳳」生存者の救出を行うことを井上中将に通知した。



2つの大失態を犯した原少将は「海軍をやめる」と自責の念にかられている。



その一方、井上中将の第四艦隊が「その位置に誤りなきや」と問い合わせてきた際には「敵機動部隊は『サラトガ』型1及び『ヨークタウン』型1、其の他艦船数隻にして、他隊発見のものと別個のものとは認め難き」と返電し、第四艦隊司令部の情報を信用せず独力で索敵を行うことを告げた。




午後8時40分、井上は第四艦隊機密第378番電で以下の内容を伝達した。



1.今夜の夜戦決行を取止む。


2.各隊は予定の計画に基き「ポートモレスビー」攻略作戦を続行すべし。


但し「ポートモレスビー」攻略日をX+2に改め、第六戦隊第二小隊(加古・古鷹)をMO機動部隊に加ふ。



3.MO機動部隊は機宣行動、明八日黎明捕捉撃滅すべし。



米軍第17任務部隊では、空母「レキシントン」のレーダーが帰投する日本軍艦爆隊を追尾、30浬の地点で一つずつ消えていくのを確認した(実際の距離は95浬)。


シャーマン艦長は駆逐艦による夜間襲撃を意見具申したがフレッチャーに却下され、第17任務部隊は南東へ向かい、続いて西に向かった。



MO機動部隊も北上し、両軍機動部隊は遠ざかっていった。



日本軍は艦隊を再編成し、五藤少将の第六戦隊から第2小隊(古鷹、衣笠)をMO機動部隊に編入、第六戦隊と第十八戦隊が合同することになった。



ここまでが5月7日の珊瑚海海戦である。