1922年2月8日ソ連で秘密警察「ゲーペーウー」を設置した日。
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内務人民委員部附属国家政治局(ロシア・ソビエトれんぽうしゃかいしゅぎきょうわこくないむじんみんいいんぶふぞくこっかせいじきょく、露: Государственное политическое управление)、通称ゲーペーウー(ГПУ)は、ソビエト連邦のレーニンおよびスターリン政権下で、反政府的な運動・思想を弾圧した秘密警察。
ラテン文字表記は Gosudarstvennoye politicheskoye upravlenie で、これを略した GPU で世界的に知られることになる。
日本語では国家政治保安部とも呼ばれる。
前身は1917年に設立されたチェーカーである。
1922年2月6日にGPUに改名された。反革命分子・反動分子・反体制派の摘発・抹殺を目的としていた。
1923年11月23日には、ソ連人民委員会議附属OGPU(統合国家政治局または合同国家政治保安部)に改組された。
スターリンは、トロツキーやキーロフなどの政敵たちや党内反対派を殺すためにGPUを用いた。
また、GPUは圧制に抵抗する民衆や外国人を弾圧し、次々と刑場や強制収容所に送った。
1934年7月に内務人民委員部直轄の国家保安総局となり、1937年に全国に設置され、弾圧の対象者を拡大した。
かくして密告網が各地に張り巡らされ、民衆は息苦しい生活を強いられることとなった。
GPUの廃止はスターリンの死後の1953年9月であった。
しかし、GPU関係者への処罰は手緩いものであり、残党は後にソ連国家保安委員会(KGB)として生き残った。