日本陸軍の師団 | 戦車のブログ

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日本陸軍の師団


1888年5月12日に6個鎮台を廃し、それに代って6個師団が置かれた。


これが常設師団の始まりである。


大日本帝国陸軍では、恒久的な部隊である歩兵連隊と他の諸兵科を以って組織された戦略単位である師団という単位を重視し、陸軍中将を以て補し更に特に親補職としていた。



日中戦争開戦以前の平時において、海外領土等には朝鮮軍・台湾軍・関東軍・支那駐屯軍の4軍があったが、このうち隷下に常設師団を持つのは朝鮮軍のみであり、他は師団と比べて規模兵力が特に大きかったとも言えず、大日本帝国陸軍とは、内地に於ける師団と、海外領土等に於ける或いは臨時に編成される軍との集合体であるとも言え、それぞれ天皇に直隷し、天皇の下に大日本帝国陸軍総司令官といったような軍職は無かった。


また、内地に於ける日本軍の戦略組織は師団のみであり、常設師団が内地での軍政および作戦と教育を担当した。



このため、有事の際に師団が外地に出征すると、内地に留守師団(るすしだん)が置かれた。


なお、太平洋戦争開戦から末期にかけて、4乃至3個歩兵連隊を基幹とした通常の師団の他に、戦車師団・高射師団・飛行師団等の、専門部隊のみの師団が編成された。


これら専門部隊のみの師団は、管区を持たず軍政には関与せず、作戦に於いても、他部隊との連携を前提としたもので、単独での作戦遂行を目的としたものではない。



師団長の権限等


師団長と師団は、その管掌事項が軍事面に、管轄区域が師管区に限られ、軍政および人事に関しては陸軍大臣から、動員計画および作戦計画に関しては参謀総長から、教育に関しては教育総監から、それぞれ区処を受けるものの、天皇直属であるということでは総理大臣及びその管掌する政府と同じであり、師団長の地位は高く、帷幄の機関の長として統帥事項に深く関わる陸軍大臣や参謀総長には及ぶべくも無いものの、陸軍次官や参謀次長よりは上位であった。


しかし師団が増設され数が増えるに従い師団長の地位も次第に低下した。



「師団司令部条例」(明治21年5月12日勅令第27号)によると、師団長の権限等としては次のものがあった。


中将を以て補し、直に天皇に隷し、師管区内にある軍隊を統率し、軍事に係る諸件を総理する。


師管区内軍隊の出師準備を整理しまた、徴兵のことを統括する。


部下軍隊の練成についてその責に任ずる。但し、特科兵専門のことは、当該兵監の責任に属する。



不慮の侵襲に際し、師管区内の防御及び陸軍諸官庁、諸建築物の保護に任ずる。


府県知事が、地方の静謐を維持するため、兵力を請求するときは、事が急ならば、師団長は直ちに応じて、後に陸軍大臣及び参軍(後の参謀総長に相当する)に報告しなければならない。


府県知事が請求できない例外の場合にあっては、師団長は兵力を以て便宜事に従うことができる(自衛隊における治安出動に相当する)


師管区内にある軍隊及び陸軍官庁における風紀、軍紀を統監し、軍法会議を管轄する。


師団長が赴任する節には、師団司令部所在地の府県知事、警視総監、大審院長、控訴院長、検事長、始審裁判所長及び検事上席の者とは3日以内に互いに訪問し、その師管内の府県知事、控訴院長、検事長、始審裁判所長及び検事上席の者とは30日以内に互いに移文訪問しなければならない。但し、共に官等卑しい者より先んじなければならない。



師団司令部の構成


「師団司令部条例」(明治21年5月12日勅令第27号)によると、師団司令部は原則として次の構成とされていた。


本部 師団長(師団長1名は中将。合計1名)


参謀部(参謀長1名は大佐、参謀1名は中少佐、参謀1名は大尉。参謀部及び副官部に通じて書記9名は曹長・同相当官・1等軍曹・同相当官・2等軍曹・同相当官)


副官部(副官1名は少佐、副官1名は大尉、副官2名は中少尉。参謀部及び副官部を通じて合計16名)


計官(計官1名は中少尉。1・2・3等書記2名は曹長・同相当官・1等軍曹・同相当官・2等軍曹・同相当官)



支部 法官部(理事3名は佐尉官相当官、録事3名は准士官・曹長相当官・1等軍曹相当官・2等軍曹相当官。合計3名)


監督部


軍医部(軍医長1名は大中佐相当官、部員2名(軍医1名・薬剤官1名)は大尉相当官、部員1名は中少尉相当官。書記3名は曹長・同相当官・1等軍曹・同相当官・2等軍曹・同相当官。合計7名)


獣医部(獣医長1名は大尉相当官、書記1名は1等軍曹・同相当官・2等軍曹・同相当官。合計2名)


以上、監督部を除いて、中将1名、佐官同相当官4名、尉官同相当官12名、准士官・下士18名の、合計35名とされた。



師団番号


近衛師団、戦車師団、高射師団及び飛行師団を除き、師団について単に「第○師団」と数字のみ冠して呼称した。


この師団番号は、当初は軍管区番号をそのまま師団番号とした。


これが第1師団から第6師団である。


その後は編成された順に師団番号を順に増加させていった(宇垣軍縮による師団廃止に際してはその番号は欠番とされた)




日中戦争勃発後は、先の宇垣軍縮で欠番となった師団番号を復活させたほか、留守師団の担任で編成された特設師団に100番台の番号を振った(第101師団など)そして、昭和20年(1945年)4月には本土決戦第二次兵備として編成した師団に200番台の番号を振った(第201師団など)


師団の軍隊符号はDが使用され、1D(第1師団)、2D(第2師団)と称した。