成歓の戦い シンデモ ラッパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ | 戦車のブログ

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戦前の尋常小学校修身書には日清戦争で敵の弾に当たっても喇叭を突撃喇叭を吹奏した木口小平のことが書かれていた。


『キグチコヘイ ハ テキ ノ
タマ ニ アタリマシタ ガ、
シンデモ ラッパ ヲ
クチ カラ ハナシマセンデシタ。』

成歓の戦いはこの時の戦闘である。

明治27年7月29日午前3時清国軍と成歓で対峙し、午前7時30分までの激戦によって清国軍を壊走させた戦い。



成歓の戦い(せいかんのたたかい、ソンファン-)は、日清戦争の最初の主要な陸戦である。成歓・牙山の戦いとも呼ばれる。

1894年6月8日に、葉志超総督、聶士成山西太原鎮総兵に率いられた清国軍(北洋陸軍、歩兵約2,500名、山砲8門)が牙山に上陸した。

7月24日時点で3880名に達する。

7月25日に朝鮮政府から大鳥圭介公使に対して、牙山の清国軍撃退が要請され、7月26日に混成第9旅団(旅団長大島義昌少将)にその旨が伝達される。

7月28日に日本軍は牙城に篭る清国兵を攻撃するため出発。

7月29日午前3時20分、佳龍里おいて清国兵の攻撃により歩兵第21連隊第12中隊長・松崎直臣歩兵大尉が戦死し(日本側初の戦死者)、他数名が死傷した(安城の渡しの戦い)。

午前8時30分に日本混成第9旅団は成歓の敵陣地を制圧する。

大島旅団長は清国軍の主力が牙山にあるとし、7月29日午前に全旅団に牙山へ向け出発を命じた。午後3時頃、牙山に到達したが、清国軍は敗走していた。

この作戦の日本側の死傷者は88名なのに対して、清国兵は500名以上の死傷者を出し、武器等を放棄して平壌まで逃亡する。


歩兵第21連隊は宇品港から出発し、1894年(明治27年)6月27日に朝鮮・仁川に上陸する。

7月29日午前3時清国軍と成歓で対峙し、午前7時30分までの激戦によって清国軍を壊走させた。

この戦いによって木口の属する第12中隊の中隊長松崎直臣大尉は戦死、松崎大尉は日清戦争の戦死者第一号という。

この戦闘中に木口は突撃ラッパを吹いている最中に被弾。

銃創により出血し倒れ、絶命した後も口にはラッパがあったという。

これは本人の精神力というよりも、死後硬直が原因であると指摘されている。



死しても尚ラッパを口から離さなかったラッパ手の噂話は、早くに内地に伝えられた。

その喇叭手は誰かということが話題となり、軍は調査の結果その喇叭手は実在し、名は「白神源次郎」であると発表した。

岡山県浅口郡船穂村(後の倉敷市)出身の歩兵一等卒・白神源次郎の武勇は国民に広く伝えられ、また海外にも発信された。教科書にも採用され7年後に名前を変えられるまで使われた。


日清戦争後に不都合が明らかになり第5師団司令部は「諸調査ノ結果彼ノ喇叭手ハ白神ニ非ズシテ木口小平ナルコト判明セリ」と発表しなおした。

白神は入営当時21連隊の喇叭手であったが予備役召集の時点ではラッパ手ではなかった。


木口はラッパ手であり白神と同日の戦死であった。

師団発表当時はまったく無名の木口に名前が置き換わったことに国民の間に驚きもあったし、すでに有名になっていた白神源次郎の名前はなかなか改まらなかった。



白神源次郎の記念碑は1906年(明治39年)に立てられたが、木口小平の記念碑は1914年(大正3年)になってからである。

義務教育の無償化と1903年(明治36年)に始まった国定教科書制度で、木口の名前が国民全体に徐々に浸透し、木口の顕彰も盛んになった。

故郷である岡山県川上郡成羽町(現在の高梁市成羽)に「壮烈喇叭手木口小平之碑」がつくられた。

さらに、1932年(昭和7年)になると、歩兵第21連隊が軍人勅諭下賜50周年事業として銅像を造った。



岡山招魂社に収められた写真の中から、木口らしい写真を選び出して銅像の元にしたが、これは木口の顔ではないとの異論もあった。

このころ成羽町の碑の周りは「小平園」として整備された。

21連隊の銅像は1950年(昭和25年)に濱田護國神社に移転されている。

1902年(明治35年)に発売され、後年正露丸と改称される胃腸薬の「忠勇征露丸」に描かれているラッパのマークは木口の話を参考にした、との逸話が在るが、これは年代的には白神の話ということになる。


木口小平のように敵弾を受けて喇叭を吹いた喇叭手は日本ではもう現れることはないだろう。

自衛隊にも喇叭手はいるが突撃喇叭はあっても「ミッキーマウスマーチ」のような突撃喇叭だし、わざわざ突撃するのに敵に知らせるように真似はしないからね。

白神・木口論争もいろんな本を読むとどっちが本当なのかよく解らない。

歴史に埋もれてしまう話なのかも知れないね。