還暦は、60歳

 

昔と違ってまだまだ働いている人も多い年代です。

 

夫の還暦のお祝いどうしよう・・・と検討中の方に、還暦の男性へのプレゼントと、赤いちゃんちゃんこは、どうしたらよいのか?についてです。

男性への還暦祝いプレゼントリスト

特別なワインまたは日本酒

高級なワインや日本酒は特別な日を祝うのに最適です。還暦を記念して特別なボトルを贈りましょう。

オーダーメイドの時計

名前やメッセージを刻むことができるオーダーメイドの時計は、永遠に残る思い出となります。

旅行券や温泉宿泊券

リフレッシュできる旅行や温泉での宿泊をプレゼントすることで、心身共にリラックスしてもらえます。

写真アルバムやフォトブック

これまでの思い出を詰め込んだ写真アルバムやフォトブックは、心温まる贈り物です。

健康グッズ

健康を気遣う品物、例えばマッサージ器やフィットネス機器など、長生きを願って贈ることができます。

還暦を迎える現役で働いている男性が赤いちゃんちゃんこについてどう感じるか?

還暦を迎える現役で働いている男性が赤いちゃんちゃんこについてどう感じるかは個人差がありますが、一般的な意見や傾向として以下のようなものが考えられます。

 

  1. 伝統の尊重と感謝・・・ 多くの人は、赤いちゃんちゃんこが還暦を祝う伝統的なシンボルであり、それを着ることで自身の節目を祝う意味が込められていると考え、感謝の気持ちを持ちます。
  2. ユーモアと楽しみ・・・ 赤いちゃんちゃんこを着ることがユーモアを交えた楽しいイベントと捉える人もいます。特に家族や友人と過ごす還暦のパーティーで、笑いを誘うアイテムとして喜ばれることもあります。
  3. 違和感や照れくささ・・・ 一部の人は、赤いちゃんちゃんこが派手すぎると感じたり、年齢を強調することに照れくささや違和感を感じたりすることがあります。
  4. 無関心・・・・・・ 伝統や儀式に対して特に感情を持たず、赤いちゃんちゃんこをただの衣装と捉える人もいます。

 

 

 還暦祝いを準備する際には、本人の性格や好みを考慮し、どのような形で祝うのが最も喜ばれるかを考えると良いでしょう。

 

実際に旦那さんの還暦のお祝いをされた方のブログ記事はこちら

 ↓

 

https://tanjyoubi-present.info/birthdays/100.html

 

20代の女性です。

 

米寿を迎えたのは、私の祖父なのですが、正直言うと最初は怖かったです。

 

その祖父が怖くて、祖父が育てていたり世話していたふくろうまでも最初は怖かったのです.

 

本当はただの口下手で自分の気持ちを表現するのが苦手なんだと祖母から聞いてから、見方が変わりました。

 

東京に住んでいるので、ビデオ通話をする

 

東京に住んでいるのであまり会えませんが、週に1回くらいビデオ通話で祖母と一緒に顔を見せてくれます。

 

いつもぶっきらぼうです。

 

でも「元気にしているか?」とか、「辛いときはいつでも戻ってきて良いぞ」とか言ってくれるので、とても優しい祖父で大好きです。

 

祖父はふくろうのことになると饒舌に

たまに会えるときは、いつもふくろうといるのです。

 

が、ふくろうについて聞くと凄く饒舌になるので面白いですし、とても楽しいです。

 

あまり笑わない人ですが、笑うとこっちも嬉しくなるのでとても大切な祖父です。

 

 

そんな祖父が米寿を迎えたので、みんなでお祝いしました。

 

その時の様子です。

 

 

 

 

50代女性です。

 

両親とは昔から仲が良いので、私が結婚してからも月に1回くらいは実家に顔を出しています。

 

 

自営業の父と、いろいろお話

 

実家は自営業な為、いつ行っても基本的に父は家にいます。

 

なので、実家に顔を出してはコーヒーを飲みながら日々の他愛ない出来事や、両親の体の不調の話や愚痴などを聞いたり話したりしています。

 

 

休日にいくと宴会が始まります

 

休日の午前中に実家に訪れたりすると、お酒好きな父は待ってましたとばかりに、これまたお酒好きな私にワインを用意していたりして、昼間からワインを飲み始めて酒盛りが始まってしまうことも・・・。

 

私が家に帰る時には本当は自分で食べようと思って購入していたであろう、お酒に合うおつまみを私にみんな持たせてくれるような父です。

 

なので、私も出来るだけ時間のある時にはお夕飯の足しになるようにと、ちょっとしたお惣菜を作っては持っていくようにしています。

 

 私にとって大切な父です。

 

そんな父が米寿(88才)を迎えましたので、みんなでお祝いしたときのお話です。

 

 

40代の男性です。

 

傘寿(80歳)のお祝いをした恩師の先生とは、小学校を卒業してからは、年賀状を毎年出していたり時には会いに行ったりしていました。

 

先生は私達が卒業してから数年私達の小学校の先生でした.

 

が、その後、別の学校へ転任していかれました。

 

その頃は私も高校に入り、学校とバイトにと忙しくしていた為に先生とのやり取りは年賀状のみとなっていました。

再会したのは、社会人になったとき

先生の再びお会いしたのは、二十歳を越えて社会人となった時です。

 

同級生何人かと先生が住む街へ行ったのです。

 

携帯を持つようになってからは年賀状だけでなく、頻繁ではありませんが何かしらあった時などは連絡しています。

 

割と頻繁につながっていたので傘寿のお祝いもできました。

 

その様な繋がりがあったからこそ、傘寿を祝う企画が立てられました。

 

今何処で何をしているかわからない状態では叶わない事です。

 

今後も年賀状中心としたお付き合いを先生としていこうと思っています。

 

そんな傘寿を迎えた先生の傘寿のお祝い会の様子です。

 

 

50代女性です。 

 

傘寿を迎えたのは実の父親です。

 

年を重ねてからは特に、まめに会っておしゃべりするようになりました。

 

仲は良い方だったと思います。 

 

年齢が年齢なので、身の回りのお世話をすることや、通院や入院の付き添いも日常茶飯事。

 

お互いによくしゃべるので、会話も弾みました。

 

お礼をちゃんと言葉にしてくれる父

 

嬉しかったのは、私がつくる食事は、気が進まないもの、食べたくないものもあったのかもしれませんが、いつも残さずきれいに食べてくれました。

 

そして、「いつもどうもありがとう」とか「いつもサンキュー」とか、必ず言葉にしてくれたことです。 

 

穏やかで、家事も手伝ってくれた父でしたので、こんな食事のエピソードひとつとっても、周りの人達への感謝の気持ちを常に忘れないように・・・というメッセージを受け取ったように思っています。

 

そんな父の80才・傘寿のお祝いをした際のお話です。

 

 

40代男性です。


母はすでに亡くなったので、自分の父親は一人暮らしをしています。


足が痛いや体調が悪いなどと言っているので、「自分の家に一緒に住もう」と言っています。

 

ですが、本人は「住み慣れたところで最後を迎えたい」と言うので、一人暮らしをさせています。

 

見守りサービスは利用

 

なにかあったら心配なので、一応見守りサービスを利用しています。

 

なにかあった場合はすぐに駆けつけれるようにしています。


自分には子供が3人いるので、月1ペースで子供たちと会わせてあげたり、自分が2週間に1回くらいのペースで一人で会いに行ったりしています。

 

足が悪くなったので、傘寿のお祝いには一緒に旅行

足が痛くなってからは外も出歩かなくなってしまっています。

 

なので、自分たち家族や兄貴の家族に会って喋るのがいきがいになっています。

 

このままの付き合いをしていきたいと思っています。

 

そんな父の80才(傘寿のお祝い)でみんなに旅行に行った時のお話です。

 

 

 

40代女性です。

 

いとこと年が近いこともあり、祖母と一緒に住む伯母家族とは、小さなころから行き来はよくありました。

 

私が料理が得意になったのも、料理上手な祖母が様々なコツとともに料理を教えてくれたからだと思います。

 

 

悩んでるときにいつも励ましてくれた

 

私の人生の節目や、悩んでいるときは、黙って話を聞いてくれ、いつも大丈夫、大丈夫、何ともならないことは世の中にはないからと励ましてくれる祖母です。

 

年を取って、元気で動き回れないのはつまらなからと、毎朝ウォーキングをしている祖母。

 

ですので、足腰も丈夫で、シャキシャキしている為、70代までは一緒にスキーも楽しみました。

 

80歳になるのを機に、怪我をすると大ごとになるからとスキーは引退しましたが、とても80代には見えない祖母です。

 

一緒に出かける際も特に年を気にすることもなく、どこへでも誘えます。

 

そんな祖母が2024年に傘寿を迎えました。

 

傘寿のお祝いの様子です。

 

 

40代の女性です。

 

私は実家を出て一人暮らしをしています。

 

私の姉が母と同居をしてくれています。

 

なので心配はあまりないのですが、やはりちょっと離れているので、数ヶ月に一度は実家に帰るようにして母親と話をしたりしています。

 

昔から相談事などたくさんしてきました

昔から関係性は変わらず、わりと友達のように気軽に話せる母親で、相談事などもたくさんしてきました。

 

今でも仕事の話など、実家に帰るとたくさん聞いてもらっています。

 

いつも頼りにしているので、長生きしてほしいですし、これからも仲良く過ごしていきたいと思います。

 

姉に任せてる母の傘寿のお祝い

 

姉には母を任せている状態なので、とても申し訳なく思うときもあります。

 

ですが、姉と母もとても仲が良いので、これからも楽しく健康に過ごしてほしいなと思います。

 

そんな母が80歳の傘寿を迎えました。

 

その時のお祝いのお祝いのブログです。

 

 

 

30代の男性です。

 

私と2024年に傘寿を迎えた昭和19年生まれの祖母は、高校生まで一緒に生活していました。

 

両親が働いていたため、祖母と留守番をすることも少なくありませんでした。

 

祖母の優しさが大好きだった私は親に怒られたりすると、祖母の所にいき話を聞いてもらっていました。

 

高校卒業後は、家を出たのでたまに会う関係

 

高校卒業後は一人暮らし、その後、結婚してマイホームを購入しました。

 

そのため一緒に生活することは出来ませんが、毎年1回マイホームに遊びに来てくれます。

 

私も年間2回程実家に帰省するため、短い時間ですが祖母と話をすることが楽しみです。

 

 

祖母は、耳が遠いので電話が難しい

 

祖母は耳が遠いため電話をすることが難しいです。

 

そのため電話でのやり取りが出来ない分、実家に帰り祖母の顔を見にいくようにしています。

 

また、子供もすきなため私の子供を見せては「大きくなったね」と話されます。

 

これからもいつまでも元気でかわいいおばあちゃんでいてもらいたいです。

 

そんな祖母の傘寿のお祝いを親戚みんなと盛大にお祝いした時のお話です。

20代女性です。

 

数え年か満年齢かどっちでやるか悩んだ末に、満年齢でお祝いした喜寿のお祝いをした祖母には、自宅から幼稚園まで距離があったため、自宅から幼稚園へ行くためのバス停まで毎日送迎をしてもらっていました。

 

そして、小学校に入学してからは祖母の家の隣に新居を建て、一緒に生活していました。

両親の替わりに面倒を見てくれていた祖母

平日の朝食と夕食は祖母が作ってくれており、休日は両親が仕事でいない間面倒を見てくれていました。

 

一緒に畑仕事をしたり、散歩に行ったり、祖母の友達の家に遊びに行ったりもしました。

 

大学生になって家を出て一人暮らしを始めた頃から実家に帰る度にご飯を作って出迎えてくれました。

 

さらには毎度お小遣いも・・・。

 

 今はもう実家に帰るタイミングでしか会うことは出来ないですが、いつも作って貰うご飯が1番楽しみです。

 

これからも長生きしてもらいたい祖母の喜寿のお祝いの様子です。