『海を渡った幕末のサムライ スフィンクスと写真を撮った男たち』 | 風の吹くまま

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昨夜見た「世界ふしぎ発見」はついつい見入ってしまった。

 

いきなりテレビ画面に現れたスフィンクスとその前で記念写真を撮った日本の武士たち総勢34名のセピアがかった写真。・・・さらにパリで写真家「ナダール」が日本の武士を撮影したポートレイト写真の数々。

 

よくぞこんな写真が残っていたなぁと感心するばかり。

 

この写真、時は1864年のこと。ペリーが開国を求めて来た中で一旦は開港した横浜の港を再び鎖国状態にするべく幕府の命で当時の幕府のエリートたちが2年間の予定でヨーロッパとアメリカに行く視察の中で撮影された写真。

 

 

今から150年前ほどの話だ。

 

フランスに行く途中で寄港したエジプト。スフィンクスでの撮影は団長池田長発の提案。この写真は日本人の関係者が大切に保管してあったもの。

 

さらにフランスに到着してヨーロッパの文明に感化されてしまう一行。すごいカルチャーショックうを受けたはず、日本は鎖国なんてしてる場合じゃない、もっと海外のことを学ばなければと心底感じることになった。(これは彼らが残した記録にこれからの日本はこうあるべきと記されている)。

 

交渉前に当時高名なポートレイト写真家ナダールが彼らをスタジオで撮影していた。

 

ナダール

 

フランス文化省「歴史的建築物資料センター」に残されていた当時の様子がわかる使節団の写真ネガをなんと昨年東大のグループが発見したのだ。ナダールの息子も一緒にいたこれらの写真は、はじめてサムライたちがどのような状況で撮影に臨んでいたのかが明らかになった貴重なネガとなっている。

 

団長 池田長発

 

写真が記録として残るようになったのが1839年と言われているので、そこからわずか25年後のこと。当時は大型カメラを使いガラスの湿板に焼き付ける方法で、シャッタースピードも超スローだった。

 

被写体となる人物は5秒間ほどじっとしていなければならなかった。今のように一瞬を捉える写し方ではないので、被写体は瞬きもせずじっとカメラを見つめていなければならない。

 

そのためだろうか、武士たちが写っているどの写真も表面的な表情ではなくて、その人間性が映し出させるされるようなカメラを見つめる目力のなんと強烈なことか!!日本の将来を背負って命をかけてここに来ている男たちの決意を感じて感動してしまう。

 

フランスと交わした文書はこれまで通りフランスと貿易を続け、関税を引き下げる事まで約束、当初の目的とは真逆の条約を結んでいた。使節団は急ぎ帰国して報告するもすぐさま罷免され謹慎処分となってしまった。

 

そして、ここから明治維新へと突入して行くわけだけど、この時参加した若者が明治維新で活躍し、杉浦愛蔵は郵便制度を確立、富岡製糸場の創設にも関わった。山内六三郎は八幡製鉄所の初代長官、益田孝は三井物産の初代社長、三宅復一は東京帝国大学で初の医学博士となり近代医学の基礎を築いた。

 

ナダールはこの後、紆余曲折の人生を送りながら、77歳でマルセイユに写真館を開き成功を納めた。そして1910年パリで90歳の生涯を閉じた。