マプトへ向かうタクシーの中で、マプトで活動している同期から電話が来る。
空港で搭乗手続きの列に並んでいるとのこと。
マプト組の第1団はひと足早く、カタール航空の便で帰国するらしい。

翌日20日はマプト近郊の隊員の第2団、その翌日21日に自分も含む地方隊員の第3団が帰国の予定。

みんなで一緒に帰れると思ってたけど、そんな甘い考えも受け付けないほど緊迫感のある状況なんだと思いました。

「コロナ」という言葉は任地イニャリメではアジア人への新たな差別用語でしかなかったので、馬鹿の一つ覚えでコロナコロナ言ってくるモザン人にイライラするストレス源だったけど、首都に向かうにつれて現実味がわいてきました。

マプトのドミトリーに着いてひと息ついて、翌日帰国する第2団の先輩の両替について行きました。
ドミトリー付近に2ヶ所の両替所があるけど、どちらもドルもユーロも不足しているとのこと。
コロナの影響でモザンビークに居る欧米人も帰国ラッシュで両替する人が急増したのだと思います。

自分もモザンの通貨メティカルをドルに両替したいと思ってたけど、この状況だと難しいかも…
と不安になりましたが…

翌日早朝、夜明け前からドミトリーを出発し、第2団のみんなの見送りに同行しました。
預け荷物の云々でトラブってなかなか搭乗手続きが潤滑に行かない様子でした。
こんな時にもモザン体質に行く手を阻まれるなんて…笑

でも何とか搭乗に間に合い、第2団の隊員たちは帰国しました。

そして自分は空港内の両替所で奇跡的に日本円に両替できました笑
この表示に日本円もあって、どうせここはモザンだから見せかけだろうと思ってたけど、尋ねてみると円も持ってるとのことで、メティカルから円に直接両替できたのでラッキーでした笑

その後ドミトリーに戻って後輩隊員の両替の旅について行って、何軒もハシゴしてメティカルから円、ドル、ユーロ、人民元と小刻みに両替する後輩が面白かったり、ジェラートの店を2軒ハシゴしたりしてマプト最後の日(になるはずだった)を楽しみました笑

午後から他の地方隊員も合流し、調整員から
「翌日の南アフリカ航空でマプトからヨハネスブルクへ、ヨハネスブルクからエミレーツ航空でドバイ経由羽田行きのルートで帰国」との予定を告げられました。

そして密接になる空間を避ける目的で、JICA事務所が手配したドミトリー周辺のホテルで一人ひとり隔離した状態で宿泊することになりました。

バタバタの準備や移動で疲れてたのでホテルに着いて、早めに夕食を摂って眠りにつきました。

翌朝は7時過ぎにドミトリーに集合して空港に向かう予定でした。

しかし、早朝5時ごろ一緒に帰る予定の同期から連絡が回ってきて
「南アフリカ航空が欠航になったから、今日の帰国はできなくなった。」と…

モザンビークを経つ直前にこんなことになるなんて…
もうすぐ帰れるという期待が高まっていたぶん、失望と不安に陥りました。

そんなわけで、この日のモザンビーク脱出は失敗に終わりました。

続く…