2023年の城巡り、パート4です。
2013年以来、10年ぶりに立ち寄りました。
余り時間を取れなかったので、撮った写真は少な目なので、10年前の訪問時の状況も併せて投稿してみます。
さて掛川城跡、後の土佐藩主である山内一豊により、現状の基本構成に構成に整備されたことで知られる平山城です。
御殿が現存する数少ない城跡ですが、天守はコンクリートでなく木造再建された事が他の城跡とは大きな特徴だと思います。再建に際して存在するのは天守台と絵図であったので、外観は掛川城の天守をモデルに立てた高知城天守を参考にしたものだとか。
今回の訪問では、JR掛川駅の北口を出て北東方向に少し進み、先ずは町中に復元された大手門に訪れました。
元の位置から来たへ約50mの場所での復元だそうです。
大手門のすぐ内側に控えるのが、大手門番屋。
移築されたようですが、復元された大手門の場所が本来の位置とは異なるようで、本来の大手門との位置関係とは異なるものかと。
掛川城の主郭部は、掛川城公園として整備されていました。
公園の手前、逆川の南側から、三ノ丸からの移築である太鼓櫓と、再建された天守とを、一望できます。
逆川を緑橋で渡り公園に入ると、そこは三ノ丸跡。
公園内に設置された案内板です。
奥に二ノ丸が掲載されています。
正保城絵図では、手前が二ノ丸で奥が三之丸の位置関係ですが、途中で呼称を入れ替えたのでしょう。
三ノ丸に入ると直ぐ左手には本丸への階段と四つ足門が見え、奥に進むと二ノ丸への階段が待ち受けます。
階段を上ると二ノ丸ですが、訪れた時は団体の見学者で混雑していたので、中に入るのは諦め、外周を見て回りました。御殿の庭、数少ない現存御殿は、やはりイイ感じです。
掛川城の御殿、江戸時代の中期に本丸御殿の大地震による倒壊を期に、現二ノ丸に移された模様。江戸時代末期にも大地震で倒壊するも再建されたとの事。
二ノ丸から本丸へも向かえた様ですが、それに気づかず。
三ノ丸に戻り、四つ足門手前の階段下から、四つ足門と天守をワンショットにおさめてみました。
今回は次の予定もあり、これで掛川城をあとにしました。
数少ない現存御殿が二ノ丸に残る掛川城跡、次に訪れたら、きっと御殿の内部もユックリ見て周ろうと思います。