十数年ぶりに水戸城を訪れました。

前回の訪問時は、主郭内を軽く観ただけで、弘道館も震災影響で中には入れませんでした。

今回は弘道館に入ると共に、偕楽園も訪れました。

因みに前日は仕事で岡山出張で、仕事が午前で終わったので、午後に岡山後楽園を散策していました。日本三名園に名を連ねる大名庭園を歴訪でき、感慨深い茨城県旅行でした。

 

さて水戸城、天守は勿論のこと、石垣・水堀も無い地味なお城ですが、市街地に隣接しながら主郭部の構成を維持しているのが立派な城跡です。

東西に連なる連郭式の城郭で、前回と同様に三の丸の西側の駐車場に車を停め、主郭部の西寄りに在る三之丸から入城です。更に西側に2段の空堀が在ったそうですが、今回は訪れませんでした。手始めに三の丸空堀をパシャリ。

 

三の丸は、図書館・庁舎・市立小学校等が設置されていますが、歴史的建造物としての弘道館が現存しています。各藩に設置されていた藩校の内、最も有名な藩校でしょう。

 

敷地内へは向かって右側の通用門から入ります。

敷地に入ると程なく正庁です。

 

更に正庁の右脇から入り、順路に沿って進むと先ず待ち受けるのが諸役会所

 

奥に進んで、至善堂の廊下と庭をワンショットで。

 

弘道館三の丸追手門付近に位置し、正面を出て直ぐに二の丸堀で、堀底は道路が通ります。

二の丸土塁と(復元された)土塀により城郭の広大さを誇示している様に感じました。

 

二の丸へは大手橋を通じて入る構成で、大手橋は擬宝珠付きの欄干が好印象です。

そして復元された二の丸大手門で、今回の訪問動機の一つ。

 

二ノ丸の中は、幼稚園、小中学校、高等学校等が多くを占めますが、案内所が設定されています。

 

案内書内でパンフレットを頂くと共にジオラマ展示を確認。

 

まっすぐ伸びる通路を進むと左手に幼稚園と高等学校との間に、二の丸角櫓への通路がひっそりと。内側に三階櫓跡もあった様ですが、現物確認できませんでした。

因みに、この左脇に高校の通用門が在り、その門柱が立派(太い木製)故に間違えて入ってしまう方が多いらしく、木製の門柱には「ここは二の丸角櫓の入口ではありません」の貼紙が貼られていました(゜0゜)

 

細い通路を進むと、二の丸隅櫓です。

 

櫓内には各種展示があり、その内の主郭周辺図です。

 

通路を本丸の手前まで進むと、左手に杉山門、右手に柵町坂下門がひっそりと控えています。何れも最近になって復元されたそう。

 

←杉山門
 
  柵町坂下門→

 

二の丸本丸の間は本丸空堀で仕切られており、本丸へは本城橋で繋がります。

形状・安全柵が、大手橋と比べると残念な印象です。

 

本丸空堀の堀底は鉄道が通じています。

 

本丸入口付近で、奥に薬医門が見えます。

この先は高等学校の敷地ですが、文化財としての薬医門の見学として敷地に入ることが来ます。

 

薬医門を正面から。

廃城後に城外へ移築をされたことで戦災での焼失を避けられたようで、戦後に再移築されたとの事。

移築前後の位置づけは不明の様ですが、風格から本丸の門との想定で、此方に補修・設置されたようです。

前回訪れた水戸城跡は、構造物として震災で立入り制限された弘道館と本丸の薬医門程度でしたが、激変していました。

 

水戸城跡を出て、偕楽園に向かいました。

偕楽園関連の案内図です。先日に訪れた岡山後楽園は、岡山城の本丸と旭川を挟んで隣接していましたが、偕楽園は主郭部と数キロの距離。

 

偕楽園のモニュメント的な存在、好文亭です。好文亭は戦災で焼失後、復元されたとのこと。

 

建屋は2階に見えますが3階建。

3階室内と屋外の纏めて一枚へ。

 

3階の縁側部分から観た見晴広場と千波湖。

向かって左側が有名な梅林エリア。

 

徳川御三家の一つで水戸黄門で有名な水戸徳川家の居城である水戸城偕楽園を廻り、天候にも巡らまれ満喫できました。

 

おまけ

金沢の兼六園の追加訪問による日本三名園の弾丸歴訪、頭の片隅を過りましたが、体力・お財布他の状況から見送りとしました。