3年前のしこうの楽しみ -37ページ目

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

分離感の核への理解は進んだでしょうか。
本音と切り離された自己認識は能力発揮も難しくします。
当然ながら自らの能力を知覚するのも遠ざけてしまうのです。
 

そうなると他者一般という中に自己認識を置くようになります。
つまり自分は普通の人というセルフイメージです。
むしろそこには能力を隠しておきたいマインドが含まれることもあります。
 

その方が楽という感覚です。
確かに能力発揮は自分と向き合う道でもあります。
よく捉えれば自己理解から自分を生かすベクトルです。
 

これは他者との違いを自覚することであり自分に責任を持つ力もかかります。
もちろんそれを認識しないままに能力発揮が進む人も珍しくありません。
あくまでそれらはプロセスや結果なので目的にフィックスされた意識にとってはフォーカスされにくいものです。
 

ともかく程度の差はあれ自らの存在価値を発揮する自己表現の性質を持ちます。
まさに命や魂を輝かせるベクトルだと想像します。
しかしこれにデメリットを見ることもできます。
 

端的には責任転嫁がしにくくなります。
誰かや何かのせいにしにくい状況ができていくのです。
自分に対して誤魔化しがある方がそれはしやすいものです。
 

要するに被害者の立ち位置を取りやすいわけです。
意外かもしれませんがこれは甘い蜜のようなものでもあります。
顕在意識的にはそれに苦しむことも少なくないでしょうが努力しなくても良いという言い訳になります。
 

いうならば自分が何をしても変わらないという感覚です。
自分にはそれだけの力がないからやらなくて済むというパラダイムです。
やりたくないことをできないこととすり替えるようなものです。
 

幼少期の親との関係でそういった実感が染み付いていれば尚更です
場合によっては強固なアイデンティティとなっているかもしれません。
依存させてもらうことで自己価値を確認する状態です。
 

そこにはある種の安心感が伴います。
何かの枠の中にいるわけです。
卵の殻の中というイメージなのかもしれません。
 

殻を破ってしまうことが怖いというのもあるでしょう。
当然ながらそれは大きな変化です。
加えて本音に従っていて批判されることは避けたいことです。
 

なぜなら存在否定と受け取りがちだからです。
自己否定があればそれだけこの傾向は強まります。
思考パターンや行為そのものではなくあなたそのものが間違っていると言われたように受け取ってしまうのです。
 

頭ではそうではないと理解していても潜在的な感覚がそこから脱却できないのは珍しくありません。
ということで本音に従うのは大抵トレーニングが必要になります。
不安や怖れを乗り越えてそれを通すマインドの醸成が求められるのです。
 

少しづつでも素直さを取り戻していきたいものです。

谷 孝祐
2023.1.8