力に対するセルフイメージについてはこれまで扱ったことがありま
だから体格が変わっても放置されていたのでしょう。
確かに昔は力がなかったものです。
とはいえこれは小学生の頃のイメージです。
しかも力がある子と比べての認識でした。
なので客観的にどうだったかも分かりません。
振り返れば力がないわけでもないくらいだったのだと想像します。
おそらく真ん中程度だったのではないかと思います。
ただ無自覚についた自己認識がずっと残っていたのは確かです。
ちなみに運動もその頃は得意でないと解釈していました。
これも同様のパターンです。
よくできる友達と比べてのことでした。
こちらはどことなく苦手意識にもなっていました。
少なくとも運動神経はあまり良くない方だと理解していました。
でもよく野球やサッカーなどで遊んでいました。
嫌いではなかったのです。
今さらながらこうやって見つめてみると力と運動は連動している印
つまり力の有無が運動能力であるかのように誤認していたわけです
ここについては今まで全く気づいていませんでした。
いうならばいわゆるパワープレーは得意ではありませんでした。
それは嫌いでもありました。
一方で細かなスキルはそこそこでした。
器用だったといえばそうなのかもしれません。
少年野球のチームで様々なポジションで試合に出たのもそんなバラ
同時に5番打者という微妙な打順も影響していたはずです。
ともかく今回のことで自覚できたのがこういった認識がちゃんとは
要するにほとんど小学生の時に形成されたままだっただったのです
運動については高校生になると比較的得意にはなっていました。
でもそれは単に上塗りされた状態だったようです。
根底には苦手という感覚が残っていたことがキャッチされます。
結局のところ高校での得意という認識は成績の問題で力よりもテク
例えばサッカーのテストでセンタリングを的確にゴール前に落とせ
調整力と持久力と集中力での結果でした。
要するに苦手認識の根源であるパワーは変わっていなかったわけで
遅ればせながらこの年齢になってやっとそこに変化がしてきた状況
やっとそこが扱えるだけの前提が整ったのかもしれません。
タイミングなのでしょう。
不思議なものです。
ちょうどボディトリートメントを受けたらセラピストから筋肉がよ
よく考えれば昔より筋肉があるという理解でそういう感想をもらう
いずれにせよ自己認識を修正すべき時のようです。
見つめてみることにします。
谷 孝祐
2023.1.11