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3年前のしこうの楽しみ

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ひとまず予定通りというのでしょうか。
当初の日程からは先送りしたものの何とか完了しました。
エネルギーからみる音楽勉強会の案内作成の話題です。
 

ただ正確にはプログラム構築というところかもしれません。
そこが定まらないから進まないという状況でした。
今までになく苦心した印象です。
 

当然ながら音楽を俯瞰してみる機会にはなりました。
よく考えればこれは初めての体験です。
そしてその範疇の広さに面食らいました。
 

元々の感覚でとらえていた範囲ではあるものの列挙してみるとなかなかなものです。
部分を個別に認識していただけだったのです。
もちろん細かな部分には立ち入らない状況でのことです。
 

まさにこだわり出したらキリがない感じです。
とはいえ同時に少なくともこれまでの内容を統合する位置付けにあることが理解できました。
その中に微細エネルギーからコミュニケーションや霊性までが含まれてくるのです。
 

論理的な要素もあります。
だからとにかくうまく整理しないとオムニバスにコンテンツが散らかりかねません。
集約しようとしなければそのまま拡散的に増えていってしまう雰囲気です。
 

それをしていたら10年以上のコースになりかねないことが容易に想像されました。
無尽蔵に増やすなら20年コースにすることも可能な状況でした。
これはなかなかの問題です。
 

音楽に関わってきたからこその削りにくさも手伝ったかもしれません。
緻密さを求めると必要要素がかさんでいくわけです。
ちなみに今までの勉強会は目的に向かって1本の軸を通せば良い印象でした。
 

なのでその線上にステップを乗せていけばよかったのです。
しかし音楽はそうもいきません。
いうならばいわゆる学問は単旋律的であることが感じられました。
 

細分化して掘り下げていくベクトルです。
だからそのレールの上に乗ればさほど悩むこともありません。
一方で音楽は同時に様々なラインが存在しうるものです。
 

そしてこちらの方が本質でもあります。
自然の営みはメロディーだけではないでしょう。
むしろそれもない中での秩序だとも思われます。
 

図と地の区別すら存在しない世界です。
つまり渾然一体とした科学とは真逆な性質とも言えます。
でもその中にも律があるわけです。
 

根は同じで袂を分かつ分野になるのかもしれません。
結局のところ音楽というものはある程度の覚醒が求められるのでしょう。
意識状態がそのレベルに達したからこそキャッチできるものがあるわけです。
 

だから万人に理解されるものでもないのだと感じられます。
そういう意味では言あげしない古神道の文化と同調する性質もありそうです。
そもそも音で語るようなものです。
 

ともかく何とかミニマムにまとめられても5年コースになってしまいました。
個人的にはこのプログラムはここまでの人生の集大成になりそうな予感がしています。
ご興味ある人は是非ご参加ください。

谷 孝祐
2023.1.18