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3年前のしこうの楽しみ

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昨年の12月中頃のことです。
世界の認識を変更する必要性を知覚しました。
その時にこのブログでも話題にしました。
 

いうならば映写機モデルからの変更です。
ただそのまま放置されていました。
もちろん忘れたわけではありません。
 

腰を据えて見つめる余裕がありませんでした。
3人目の子どもが動き出したのがそれを助長しているかもしれません。
最近は移動距離がのびてきています。
 

仕事もままならないくらい子どもの世話に追われる気分です。
客観的事実はそこまででもないのでしょうがどこかタイトになりがちなのです。
少なくとも表面的には時間が足りていない認識です。
 

とはいえその裏側に抵抗があって進まないこともあるものです。
なのでひとまず不十分であっても見つめてみることにしました。
向かうべきベクトルにまず力をかけることを優先しようという意図です。
 

ということで考察してみることにしました。
まずはプロセスのおさらいです。
この必要性への認識は軽度の事故からでした。
 

人生初のカーチェイス的な体験からの展開です。
2022年に軽い車絡みのトラブルが何度かあったところから掘り起こされた課題でした。
本質である映写機側に問題がなくともスクリーンである現象に何かが入り込んでくることがあるという気づきでした。
 

本で読んだのが刷り込まれていたのかもしれません。
とにかくそれまではこのモデルを当たり前のこととしていました。
大枠は映写機であるマインドとスクリーンに映される現象は連動するものの多少のズレが起きるのが普通という感覚でした。
 

両者の間にある空間が緩衝材になってマインドがそのままは現象化しないようになっているイメージでした。
しかし時代は変化するものです。
近年では違う側面も見受けられています。
 

いうならばマインドと現象が直接的に関係しているように感じることが増えてきたのです。
つまりそれらの間に空間が存在しなくなっている雰囲気です。
実際がどうかはわかりません。
 

でも距離が縮まっている気はします。
だからこそ世界への認識を改める必要があるのかもしれません。
ポイントは結びつきが強まって直接的に現象が起こりやすいところです。
 

場合によっては奇跡的なことも現実になりやすいのかもしれません
一方でネガティブスパイラルも心理的な範疇だけでなく現象レベルで起こりそうです。
いずれにせよ映写機とスクリーンのような間は存在していない印象です。
 

ではそれをどういったイメージで理解すべきなのでしょうか。
ここに絞って適切なものを見つけていくことにします。

谷 孝祐
2023.1.31