食に関する自己認識の変革の続きです。
一旦ゴールかと思ったもののそのまま思考が展開しました。
ほとんどこれは自動的なものです。
方向づけされるとちょうどよい潜在意識が答えを探すのでしょう。
数時間経つとベジタリアンはヴィーガンよりもマシだけど妥当でな
概念の中に自分が入っている感じはありません。
ただ自分の外側で適切な概念を当てはめるとしてもピッタリではな
どうも完全にズレている印象になってきました。
結局は似たように殺生を避けるという宗教的背景からくるものだか
動物愛護とは異なりますがおそらくそれはカルマを作らない思想か
もしくは修行における精進のためという性質だからかもしれません
物理的なな活力を遠ざけて意識の力を高める目的です。
五葷抜きはそのような背景からきます。
もちろんそういった意義は理解できます。
ヴィーガンより余計なものも入り込んできていない印象です。
どちらかというとストイックな世界だと推測します。
確かに山行であればそれに従うことでの受け取りの大きさも実感し
その最たるものはジャインミールだと感じます。
土の中の微生物にまで意識を及ぼすスタイルです。
要するに根菜等の地中に埋まっているものも食べません。
ただそこまでいくと衛生環境における安全性としての文化という解
とはいえ面白いものです。
奇しくもこの日の夜は宿泊先でのバーベキューでした。
そしてそれに似つかわしくない質のお肉が出てきました。
それをグリルで焼いていて食べてみようという気になりました。
明らかに美味しそうだったのです。
まさに自己認識を変える後押しのようなタイミングでした。
自分の体にとって大抵の動物性食材はNGですが質が高ければ平気
アレルギーの乳製品と脳が嫌悪学習してしまった卵ほどは反応を起
胃腸の調子がおかしくなる程度です。
消化に数日要するのかもしれません。
ともかく腸が見た目で判断するのでしょうか。
お肉であれお魚であれ平気そうなものは分かります。
今までその勘が外れたこともありません。
この点にフォーカスすると動物性のものは高い基準で選んでいると
よく考えればそれは植物性のものでも同様です。
ヴィーガンフードであれば何でもよいわけではありません。
このように見つめてみると単に食材のクオリティの問題に感じてき
植物性か動物性かによって消化における負担感は異なるもののそれ
ここまできて一気に食に関わる概念との関わりが切れたような体感
単に状況に合わせて高度に選択するまでのことです。
ひとまずこれを維持して現実的にどうなるか様子を見てみることに
谷 孝祐
2023.8.9