突然のように気になることが出てきました。
あくまでこれは体感的なものです。
実際のところ課題としての認識はしていました。
すでに利息や金融と向き合う必要があると感じてはいたわけです。
ただ進んではいませんでした。
どことなく抵抗があったのでしょうか。
ともかく今回は利息とは何かという点に意識が向きました。
主観的に必要性はないはずなもののどことなく無理やり軌道修正さ
見えない作用なのでしょうか。
もちろん元から解釈できていなかったわけではありません。
これまではそこに時間エネルギーが内在するという理解でした。
ある意味でそれは本質的な理解です。
利息に対する課題感が生じてもここに違和感はありません。
この概念の核であるわけです。
一方でその中核しかとらえていない可能性もキャッチされました。
まだ見えていない部分があったわけです。
だから視野を広げる必要があるのだと考えられました。
するとすぐにそこに違った要素が見えてきました。
面白いものです。
フォーカスが変わることで異なる性質をとらえられたわけです。
しかしなかなか悩ましいものではありました。
確かにこれを知覚するのは抵抗があったかもしれません。
現状を見直す必要を要求してくる印象です。
そこにエゴが入り込みやすい空気感をキャッチしました。
要するに利息には安心安全や承認感や自己有用感が投影されやすそ
そういったものを否定するわけではありませんがまさに穢れている
利息なるものはお金の増殖機能と言われるものの中核をなす概念だ
つまりこの価値観がなければその観点も存在し得ないわけです。
貸した分しか返されないのであれば確かに金融は発展しにくかった
あくまで人間的な信頼関係でしか生じにくい取引です。
つまり狭い世界にとどまりやすい性質です。
なので社会が成長とされるベクトルに動くのも遅かったと想像しま
そう考えるとまさに利息という概念が今この世界を作ってきた印象
結局のところ銀行もそこに立脚してきたのかもしれません。
当然ながらその良し悪しに触れるつもりもありませんがそれが事実
実態としては当たり前にも思います。
でもそこには様々なものが錯綜しやすい性質があるわけです。
だからといってそれと無縁で生きることも容易ではありません。
少なくともお金を借りて何かを実現するのであればその恩恵を得る
個人的にもそれを否定できる立場ではありません。
そのおかげで今があることは確かです。
車も家もそれで持てたことがあるわけです。
いうならば利息の存在があったからこそ人生の展開が加速した部分
でも今後においてこの概念とどう付き合うかは別件です。
重要なのはその穢れとの関わりです。
潔癖であればきれいさっぱり貸し借りがない状態にしたいところで
今の自分にとってそれはあまり難しいことでもありません。
ただそれができなくないにしても違う気もします。
いうならばそうなると現代社会への否定的な立ち位置にもなりかね
結局のところバランスが重要なのだと感じます。
クリアさが保たれる範囲で自らのエゴがなく増殖機能なるものと関
谷 孝祐
2023.7.8