ヨーロッパの自然からの声か | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

ヨーロッパの田舎でのことでした。
テラスで目の前の自然を眺めていてのことです。
遠くに点在している街がいくつか見えていました。
 

少なくともほとんどが自然という雰囲気です。
ただ厳密には多くが農地という感じでした。
なのでありのままというわけではありません。
 

乾燥した空気がそこを流れていきます。
ともかくそんな様子を眺めていました。
するとどことなく悲しみが感じられました。
 

体感的には自分のもののようですが表面を覆うような感じでした。
むくむくとどこかから湧いてきてまとわりついてきたのかもしれません。
おそらくその土地に埋め込まれたものなのでしょう。
 

事実は分からないもののそんな気がしました。
そしてひとまずそれを眺め続けてみました。
何がそうなっているのかどことなく興味に発展したのです。
 

すると次第に否定感もキャッチされてきました。
いわゆる価値がないというような性質のものです。
悲しみの根本はそこにあるようでした。
 

生きることへの諦めのようなものとも言えそうです。
その地に埋め込まれた人間の想いに共鳴したのだと推測されました
ただどうにも風景とのギャップがありました。
 

だから違和感も生じてきました。
いうならば日本で似たような環境で感じるものと全く異なるわけです。
真逆とも評価できそうです。
 

風の抜けるスッキリ感や爽やかさよりもそれらの方が大きな印象でした。
むしろ自然の方がそういった想念に支配されてしまっているかのようでした。
いわば不一致な空気感です。
 

ということでその理由が気になりました。
なぜそうなるのかという疑問です。
するとここまできて突如として視点が転じました。
 

否定感はどうやら自然そのものにあると知覚されたのです。
確かに日本人である自分には推測もできないくらい土地が改変されているのかもしれません。
見た目上の美しい風景もどことなく根がないような印象ではありました。
 

どうにも作られたものに見えてくるのです。
でもだからこそ綺麗に整っているとも言えそうです。
雑然としているようであってベースには理路整然を目指している感じです。
 

西洋文明は自然と戦う立ち位置だと聞いたことがありますがふとその結末なのかと理解しました。
もしかしたらそれは自然に対する否定感を植え付けてきたのかもしれません。
一方で同時に人間に対してもそれは戻ってきていると考えられます
 

だからどうということでもありませんがそれをひっくり返すパラダイムシフトが求められているのかもしれません。
基本的に静寂が支配するような場所だからこそアクセスできた感覚だったのでした。

谷 孝祐
2023.6.29