エゴを超えて目的に生きるイメージがとらえられてきたでしょうか
このテーマはなかなか難しいものです。
分かったつもりでいても超えられない壁のようなものです。
そのくらいエゴの支配力は強いのかもしれません。
とはいえ単にそれは思考習慣によるところも大きなものです。
大抵は子どもの頃からそこに染まっているからこそ気づきにくい印
だからこそ構造的な理解が重要なのだと推測します。
自らが置かれているパラダイムを自覚することで変化への第一歩と
さて個を超えたところで個の満足感も最大化されるという切り口に
ここを実感できればエゴはこれまでの守りを緩める可能性がありま
しかしなかなか受け入れ難いものかもしれません。
ある種のジレンマです。
もちろんリスクを負うくらいなら満足を最大化しなくても良いとい
本質的にエゴはそういった性質のものです。
とはいえそこに向かう段階がきているのに進まないのは滞りを生じ
つまりエゴ主導でいける満足の限界にきているのにそこでスタック
いうならばそこは目的主導に進む推進力がすでに働いてしまってい
要するにエゴがこれまでのパターンを手放せば進んでしまうという
なので守りでいることはそれだけエネルギーを消耗することになり
今まで通りのはずなのに疲れるわけです。
実際に不調になることもあるでしょう。
当然ながらこれは単なる病気だったり年のせいだったりという形で
世間的にはそれが普通だからです。
でも内面的にはこれまでの表面的な成功を手放す必要があるのです
成功といってもそれは客観的事実ではありません。
いうならばエゴが勝手に成功と感じている守りのパターンです。
ともかく八方塞がりな気分になりやすい段階です。
人によっては何をやってもうまくいかない感覚にも支配されるかも
顕在的にも成功だと思っていることがあればなおさらです。
結局のところ行動原理を入れ替える必要があります。
不安や怖れを原動力にして頑張る世界観から脱却するわけです。
それらを避けるために努力する感覚をやめるわけです。
嫌なことが起きないように無理をするのも手放すわけです。
むしろそれらは向き合って超えていく対象であり減少させていきた
ある程度の状態になると推進力や活力としては機能しなくなります
ただそれほど実感の強いエネルギーもないものです。
これをやる気と認識している人も少なくないのかもしれません。
ということで目的主導はエゴ主導に比べていわゆるやる気の弱いも
惰性のような感じがしてしまうかもしれません。
でも淡々と続けやすいわけです。
その方が限界がありません。
つまり能力発揮にも制限がかかりにくいステージに移行するわけで
この状態そのものが抑圧からの解放であり自己承認的であるのでこ
谷 孝祐
2023.6.5