鎖場で久々にエゴを感じたところからの展開です。
強調と反発のギリギリのところを進んだからかもしれません。
ともかく命の危険をリアルに感じたものです。
そしてこれはおそらく幻想でもなかったことでしょう。
本当によく滑る印象でした。
だからこそ働いた集中力だったとも言えます。
ということでおそらく健全なレベルの範疇だと実感しながら登りま
それと同時にもし誤作動があったらということを想定するとなかな
崖の途中で逃避反応が作動して体が思うように動かなくなったら危
そこで無理すれば自殺行為かもしれません。
少なくとも10mは滑落です。
でも同時にそのリスクもエゴは自覚している状態です。
なので本当に逃げたくてもそれは得策でないことが分かるわけです
このせめぎ合いをエゴの中でも行なっている雰囲気でした。
これがあったからマネジメントしやすかったのもあります。
しかし一般的に肥大した状態だとこうはならないと推測されました
物理的でない危険性を混同してしまうからこそのパターンでしょう
客観的にそこまで危なくなくても命を守ろうという意識が働くわけ
今回の体験でそこへの実感が持てました。
リアリティを持って共感できた印象です。
そこで見えてきたことがありました。
違いは本当にやばいかどうかです。
日常生活の範囲では逃げたところで死ぬ可能性は極めて低いでしょ
そんなわけで逃避に入りやすいと考えられました。
どこかでそこが物質的身体レベルでは安全ということを知っている
エゴに対するエゴの抑止力が働かないわけです。
向き合うことよりもその方が安全と感じてしまうのも無理はありま
わざわざ向き合うことで痛さを知覚するのを避けようとするのもあ
結果的に全力で逃げに入るわけです。
しかもそれは顕在意識でキャッチできるよりも速く動きます。
そういった衝動も自覚しつつ休みながら登りました。
そんな感覚と共に到達した頂上はそこでゴールでもありませんでし
あと100mほどもう一つのピークにいくと最高地点だったのです
当然ながらそこは崖の上を歩きます。
しかも予報では風速15mでした。
まだ人もいないので落ちたら誰にも気付かれません。
とはいえ目的からしてやめる理由はありませんでした。
足が震えるであろう手前で距離感を保ちながら進みました。
これは良い体験だったと思います。
こういうことが覚醒を促していくのだと改めて確認したのでした。
谷 孝祐
2021.8.28