登山と登拝の明確な違い | 3年前のしこうの楽しみ

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車中泊をして朝目覚めました。
環境がそうさせるのでしょうか。
単に落ち着かなかったからでしょうか。
 

ともかく夜明けとともにというタイミングでした。
自然との共鳴という意味ではとても良い感覚でした。
ただ寝不足の感は否めませんでした。
 

とはいえ目的は朝一での参拝です。
ということで少しグダグダしたものの準備に取り掛かりました。
山頂のお宮に参るので普通に登山をします。
 

でも目的によって明らかな違いがあることを感じました。
単に山登りをするのとは心持ちが全く異なるのです。
ちなみに登山指数はCでした。
 

雨や風があるという予報なわけです。
通常だったら行くかどうか考えます。
無理せずに休むことの方が圧倒的に多いと思います。
 

しかし今回は全く気になりませんでした。
もちろん他の情報も参考に問題はなさそうだと予想できたのもあります。
ギリギリ降らないで風だけがかなり強いという想定でした。
 

遠方までやってきたのもあります。
裏側には使命感のようなものも働いているのでしょう。
まさにお勤めという感覚で歩き始めました。
 

天気はイメージ通りでした。
とはいえ道はほぼ濡れている状態でした。
なので滑らないように注意が必要でした。
 

そんな中で自分の中でのこれらの差異が認識できました。
ある意味で真逆の場合もあることです。
登山が目的であれば身体的なマネジメントにフォーカスがいきます
 

概してこれはエネルギーロスを避けるようなベクトルです。
つまりできるだけ疲労せずに頂上に到達する目論見です。
一方で参拝が目的になると修行的な性質を帯びてきます。
 

過酷で危険だろうがそこを避けようとはしないわけです。
結果的に心身への負荷は高くなります。
しかしこれが明確になったことでいずれは統合される展望も得られました。
 

そのためには体力も技術もまだ不足している状況です。
まだまだ精進することがあるものだと思いました。

谷 孝祐
2021.8.26