2021年5月4日を見据えたレゾナンス | 3年前のしこうの楽しみ

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白馬公演の曲目を考えていてのことです。
これは結果的に視野を広げる機会になりました。
同時にこの合唱に関わる立ち位置の移行をもたらしたようです。
 

今までは基本的に指導者的なものでした。
昔やっていた部活指導の延長のようなイメージです。
当然といえばそうでしょう。
 

実質的な立場がそこに該当します。
少し広げても部活顧問くらいの感覚だったかもしれません。
スキル向上だけでなく運営面にも関わるという意味合いです。
 

強力であったとしてもサポート役でしかありません。
ただコンサートの曲をまとめて考案するとなると随分と違ってきたようです。
そこの枠から必然的に出なければならなかったのでしょう。
 

無意識的に曲決めは自分の範疇ではない感じがしていたのかもしれません。
確かに演奏者はそんなものです。
特にオーケストラにおいて曲は与えられるものであって自分が何をやりたいかは二の次です。
 

室内楽であればそうでもありませんがメンバー間のバランスもあります。
だからこそどのような曲でもその良さを見出してポテンシャルを引き出すという感性が養われたように思います。
部活であっても基本的には様々な意向が錯綜します。
 

誰かの意見がそのまま通ることはなかなかありません。
つまりプログラム全体をある担当者が主導していくことは珍しいことです。
ともかく自分は何の曲をやるかという課題にここまで真剣に向き合ったことがありませんでした。
 

過去においては意見できても自分の力の及ばない範疇でありそれを受け入れていたわけです。
いつしか曲決めに対しては無意識的に無関係な立ち位置になっていたようです。
とはいえ個人的に合唱でこれといってやりたい曲があるわけでもありません。
 

相当フラットだと推測されます。
ということで自ずと必然性が重視された形になりました。
要はマーケティング的視点から見つめたようなものです。
 

ただ実質的に識匠会の旅先や宿泊先を選定するのに似ていたかもしれません。
そもそも音楽にこういった感覚を持ち込んだのが自分にとって初めてだったと推測します。
要は外部環境と内部環境の掛け合わせでその時空の一点におけるベストなものを求めた感じです。
 

それは音や響きという側面だけでなく意味合いも含まれます。
歌詞があるからこそメッセージ性が強まるわけです。
そのおかげでレゾナンスハーモニーの概念が広がりました。
 

元々は単にレゾナンスしたハーモニーという具合でとらえていました。
音が正確に合っているだけでなくしっかり共鳴している状態です。
音波的波長があっているだけでなく波形や意識の向きなどの要素も合っているというものです。
 

しかしこれを演奏会に当てはめるとその場にあるべき姿が同定されるべきであるような気分になりました。
音楽的側面だけでなく季節や地域とともにホールの空間や聴衆などその場を取り巻く全ての要素とのレゾナンスが存在することに気づいたのです。
ワシントンでもその認識がなかったわけではありませんが重視される度合いが異なりました。
 

まだまだ合唱というカテゴリーに縛られていたわけです。
その一致感を純粋に表現できるとしたらどれだけの至福でしょうか
コンセプトは新たな出発です。
 

ほとんどの人にとって未知であり難しいことかもしれませんが鋭意努力することにします。

谷 孝祐
2020.12.25