できれば避けたくなった飛行機 | 3年前のしこうの楽しみ

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新聞の件からの流れでしょう。
意識が向いたベクトルに気づきが連鎖していくのはよくあることかもしれません。
他にも似たような性質のものを認識しました。
 

どことなく無意識的にはセットになっていたのかもしれません。
確かに紐づけられていた感はあります。
最も新聞を読んでいたのが機内だったわけです。
 

とはいえ直接的には関係のないものです。
こちらの方が緩やかに何年にもわたって変化してきていたのだと推測します。
それがこの機会に顕在化したのでしょう。
 

いつの間にか飛行機に乗ることに対する感じ方がひっくり返ったようです。
昔は好きな乗り物でした。
空路を使うことは楽しみでもありました。
 

とはいえこれは20年前くらいのことです。
そこには異世界に対する興味が投影されていてのことでしょう。
もちろん非日常感もありました。
 

しかしじわじわとそれはなくなっていきました。
乗る頻度が高まったので当然かと思います。
海外渡航も含め少なくともこの10年は特別感もなくなり日常の一部になりました。
 

どんどん既知の世界が広がっていったのだと推測します。
とはいえその利便性は自分にとって有用でした。
違った選択肢に目を向けるほどでもありませんでした。
 

東京に住んでいれば尚更です。
大概は時間効率が最も高くなります。
だから否定的な感覚はありませんでした。
 

むしろ生活に密着してしまっていてそれが当たり前になっていた状態です。
気がつけば昨年は最上級ステータスになる基準の倍も乗っていました。
機内で過ごす時間も長くタスクをそこで進めるルーティンもできていました。
 

ということで乗らない生活が想定できないくらいになっていたのかもしれません。
しかしそういった状況も今年は一変しました。
引っ越したことと緊急事態宣言が重なったことが大きな要因です。
 

当たり前のように利用機会が減りました。
おそらく去年の4分の1程度になっていることでしょう。
そうなると必然的に距離感ができて本音が捉えやすくなるのかもしれません。
 

ふと気づくとできれば避けたい移動手段になっていました。
感染症対策の煩わしさを潜在的に感じているのもあるのかもしれません。
多少非効率でも車を自分で運転する方が気楽だと感じるようになっていたのです。
 

そう見つめるとこれまで車と飛行機を天秤にかけたことはほとんどなかったことを自覚しました。
合理的に考えれば確かにそのくらい違いがあるかもしれません。
しかしどちらが好きかといえば明らかに車だという自己認識を初めて知覚したのでした。

谷 孝祐
2020.11.11