どこかで知っていた自然への感性 | 3年前のしこうの楽しみ

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朝起きると強い雨が降っていました。
かなりのものです。
屋根を叩いているかのようでした。
 

当然ながら音もそれなりにしました。
ときおり遠くで雷も鳴っていました。
でもこれに対してどこか知ったような感覚も出てきました。
 

思い返せばそれは山小屋での体験でした。
出発できず足止めになった時のことです。
ただそれは不運というわけでもありません。
 

まさに自然の中に身を置いている実感にもなりました。
だから同様に今いる場所を再認識しました。
これが心の中の浄化につながったのでしょうか。
 

そんな中で外を見ると目の前の木に意識がいきました。
お向かいさんの入り口に立っているものです。
もちろん普段から知ったものです。
 

でも今までは裸の状態でした。
山桜の一種でしょうか。
あえてこの過酷な日を選んだかのように芽吹き始めているようでした。
 

そこには何とも言えない風情がありました。
雨の音とは対照的な静寂をまとっているかのようでした。
こういう実感はいつぶりかと思います。
 

子どもの頃は通学路でも感じられたものでしたがいつしか薄らいでいたことを自覚しました。
余裕がなくなっていたのでしょうか。
もちろんその要素はあるでしょう。
 

やるべきことに追われていないわけではありません。
加えて時代の流れによる要素もある気はします。
そして午後になってのことです。
 

雨も止んで晴れ間が顔をのぞかせてきました。
ふと同じ木に目をやると朝の蕾が開いてきている雰囲気でした。
明らかに色鮮やかになっていたのです。
 

一般的には春の訪れを喜ぶところでしょうか。
しかし自分にとってその意味づけは観念的な印象でした。
もっと多義的に体感したのです。
 

結局それは心象風景の投影でしかありません。
とはいえ自然の複雑さの妙をとらえた心境になったのでした。
少しナチュラルな感性が戻ってきたのかもしれません。

谷 孝祐
2020.4.18