幼児的楽しさへの自覚 | 3年前のしこうの楽しみ

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先行きが分からないことに対してどのように感じるでしょうか。
一般的には不安なのかもしれません。
もちろん状況によりけりでしょう。
 

でも今回の社会情勢から概ねそんな気もします。
少なくとも集合意識レベルではそうだと推測します。
場合によっては曲解による行動も生じてくるものです。
 

あたかもそれは当たり前のことのようでもあります。
連日のように情報が入ってくればそれも仕方ないと言えます。
主観的にそこまででないにしても対応に追われることもあるでしょう。
 

取りあえず気が奪われている人は多そうです。
一方で自分自身に意識を向けると不謹慎とも解釈できる状態が発覚しました。
これはふと寝る前の瞬間にとらえられたものでした。
 

ここからどうなっていくのか楽しみにしているのです。
そこに不安が入り込む余地はない様子です。
ただただ純粋に楽しみにしている感覚なのです。
 

当然ながらそこに根拠はありません。
今までに感じたことのないものです。
あえて形容するのであればエササニのワクワクとはこういうものかと納得した気分です。
 

楽観的なのとも期待があるのとも違います。
それらにはどことなく予期できる未来像が含まれる印象です。
むしろ先行きが描けないから楽しいのです。
 

予定調和的な社会に潜在意識が飽きていた反動なのでしょうか。
確かにその可能性はあります。
そんなわけで理解を進めようとここに意識を合わせ続けてみました
 

結果的に自覚できたのはこれが幼児のような感覚だということでした。
新たな体験への楽しさでしょうか。
とはいえそこまでの意味づけもないでしょう。
 

通常は大人が理解できない性質のものです。
いうならば成長過程でよくあるティッシュを全部箱から出してしまう楽しさに似ています。
少なくともこれでその感性が腑に落ちた雰囲気です。
 

でもそうなると何となくこちらの方が本質的な気がします。
包括するとこれは生きていること自体への楽しさなのかもしれません。
皆さんはどうでしょうか。
 

せっかく得られたこの感覚を大切に定着させていくことにします。

谷 孝祐
2020.3.13