禁じ手だった結果コミット | 3年前のしこうの楽しみ

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主体性一辺倒の立ち位置からバランスが変化からでしょうか。
少し発想が違ってきました。
禁じ手だった扉が開いたようです。
 

そうでなければこんな視点は出てこなかったでしょう。
大きな課題が持ち上がってきました。
それはビジネス系セミナーでのことです。
 

実際にはその枠におさまらずさらに広い領域でも関係するかもしれません。
今までは学んでもらったことを実践してもらう前提でのイメージでした。
もちろんそれが十分にできれば結果も伴う算段です。
 

しかしそこになかなか向かえないのが現実かもしれません。
理解力の問題もあるでしょう。
抵抗によって意味を取り違えてしまうことも考えられます。
 

どことなく今までの様子を見てきて適正に受け取るのが難しい傾向が感じられていました。
かといって無意味なわけでもありません。
本人なりのペースで進んでいることは分かります。
 

しかし今年に入ってそれでは遅い感じがしてきました。
もちろん主体的な努力は最重要です。
だからみんなが稼ぐことに真摯に向かうのに対して待ちの姿勢だったことはあります。
 

それは価値提供に徹する心境になるのを見守っていたとも言えます
ところが現在のバランスからいくとある程度の力をかけた方が良いような気がしてきました。
幼児よりも周回遅れの出発点であるならそれも仕方ないでしょう。
 

つまり稼がせるコミットを持つということです。
結果的に多少の強制力も出てくると予想します。
明確な評価フィードバックが必要なタイミングもあるでしょう。
 

場合によってそこには否定的な側面も生じます。
下手をするとこれは依存を助長します。
やりすぎれば上司と部下のような状態にもなりかねません。
 

基本的にはそうはして欲しくない人がほとんどだと推測します。
であるからこそ待ちだったわけですがちょっとはそちらに移行した方が良いという算段です。
こちらが稼がせることを意図したらどうなるのでしょうか。
 

ここに意識が向くと塾講師時代のことが思い出されました。
その頃は点数を取らせることに邁進したものです。
当然ながらそれだけでなくベースとなる学力がつくようにある種の能力開発も目論んでいました。
 

これでなんだか体感レベルの自己一致感が高まったのでした。
実は抑圧になっていたのかもしれません。
眠っていた結果を出させる当時の在り方が蘇ってきたようです。
 

うまくこれを使っていきたいものです。

谷 孝祐
2020.2.19