この手記が配信されるのはいつ頃でしょうか。
少なくとも今日という日の中であることは確かでしょう。
感づるところあって思いつくがままに文を紡いでみようかと思います。
これはここ数年ない試みです。
基本的には読みやすさや分かりやすさに配慮して書く流れの中にいました。
それを手放してみるのでどれだけの人に伝わるのかは分かりません。
しかしそれで感得する人がどれくらいいるのかを見るのも面白いことかもしれません。
今はNH1便という機内です。
今回の旅の最後となるワシントンDCからの帰国便です。
以前から感じていましたがこの便はその番号からもどこか特別なものを感じます。
日本が米国に関わる何かなのでしょうか。
この便名はoneではなくfirstの意味合いなのかもしれません。
それを米国に対して暗喩しているようにも思います。
いずれにせよこの機内で過ごす時間はある意味において特別でした。
客観的には何ということもありません。
ただ移動しているだけです。
しかし久々にその価値を感じられるものでした。
これは機内オーディオプログラムに起因します。
ここ最近のフライトでは興味を持って聴くこともなかったのですが気になるものがありました。
ベートーヴェンの運命と田園のCDでした。
曲自体は慣れ親しんだもので珍しいこともありません。
しかし演奏団体が知らないものでした。
いつもであればこういった類のものはスルーしてしまいます。
でもこの時は気になったのでした。
その名もレヴォリューショナリーらしいです。
どこの地域の演奏団体かも分かりませんがこの名前は初めて聞きました。
基本的に管弦楽団といえば地名を冠する通例からいけば相当な怪しさです。
でもだからこそどんな演奏をするのかと感じてしまうわけです。
そしてこれは意識を違った視点に持っていってくれたようでした。
一般的な名称下では無意識的にベルリンフィルかウイーンフィルが最高であるという観念に縛られていたことに気づきました。
そんなわけで聴いてみるとその名前の意味を感じさせるような興味深い演奏でした。
冒頭からこんなに明るい運命は初めてという印象でした。
しかも想像以上に上手でまさに新時代到来を感じさせるものでした。
個人的にはいつしかモーツァルト至上主義に囚われていたことも自覚しました。
音楽家が最終的に行き着くとも言われるありがちな完璧なものに対する崇敬です。
この楽曲に対してどこか泥臭さがあるのがベートーヴェンでした。
天上の音楽になれなかった彼の良さという雰囲気でした。
見解がこれで変わったわけではありませんがある種の地の音楽というような感じがしました。
田園に進むとこの曲の写実性が見事に表現されているようでした。
まさにその風景の美しさが描かれている様子でした。
フランス音楽のような絵画的な響きがそこにあったのでした。
苦悩に満ちていた偉大な作曲家というイメージが逆転するような幸福感が伝わってくるのでした。
結局は自分自身の聴覚的投影かもしれません。
とはいえこの数年はそんなことも起きないくらい音楽自体に飽きがきていた状況を打破してくれたように思います。
こういった時間を彩る機内で供されるワインも新たな風を感じさせるものでした。
こちらも興味を持てなくなって飲まないことが増えていた気分を変えてくれるものでした。
とにかくその名から受け取るものをそのまま得られたわけでした。
正式な名称が気になって冊子を見てみるとオルケストル・レヴォリュショネル・エロマンティックとのことでした。
指揮者はガーディナーです。
言うならばポップな演奏ですがクラシカルな本質を忘れていない良さがそこにはあったのでした。
谷 孝祐
2018.9.19