反応と気づきの統合か | 3年前のしこうの楽しみ

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ふと思うところがありました。
それは気づきそのものに対してです。
そもそもこれも反応の一種ではないかという視点が生まれたのでした。

きっかけはよく分かりません。
無意識的なパズルのピースがはまったのでしょうか。
パッと閃いたかのように瞬間的な発想でした。

なのでロジカルに考えた結果でもありません。
直接的に何らかの体験が影響しているとも思えません。
比較的珍しい体感とともにやってきた印象でした。

ということでそこを出発点に解釈を加えてみることにしました。
この観点はこのブログの内容に意識が向いた時に生まれたものです。
つまりそれがトリガーになったと推測します。

きっと今までそれらを扱ってきた蓄積からきたのでしょう。
そこから両者に通づるエッセンスがとらえられたのかもしれません。
ここに意識が向くとやっと言語化が可能な領域にアクセスできたかのようでした。

共通性にフォーカスすれば良いのです。
すぐにそこに意識を持っていくとそれらの連鎖性が認識されました。
どちらも単体で終わることなく連続して次の内容につながりやすい気がしたのです。

収入減への不安が生活の不安につながり将来を案じるところへというような具合です。
未解決の課題の発見が現状認識につながり自己認識を修正させるようなイメージです。
個人差はあるのでしょうがこれらが同様の雰囲気を持つように感じたのでした。

意図的に引き起こすというよりは何かの刺激によって起こるという点でも似ているでしょう。
間接的に様々な要因がそのプロセスに関与する点も近いものがあります。
線的な言語処理というよりは立体的放射線状に広がるような印象もあります。

そして見つめているだけでも勝手に収束していく性質も同様にありそうです。
こうやって思考すると同時に相違への注意も向けられました。
例えばネガティヴ向きかポジティブ向きかといったようなところです。

同じところをグルグルするのか発展性があるのかという様子です。
しかし面白いものです。
泡のように出てくるそういった考えはあっという間に消えていってしまうのです。

あたかも違うものと認識させていた要素が浄化されてこの2つの概念が統合に向かっていくかのようでした。
対となる概念ととらえていたわけでもないのに1つになっていくのです。
数分経つとそれも落ち着いてきて完了を迎えたのかもしれません。

胸のあたりにスッキリ感が得られたのでした。
確かにそれらも幻想であるという解釈は自分の中に存在していませんでした。
どちらも実体のあるものとしてキャッチしていたわけです。

とはいえこの変化が何をもたらすのでしょうか。
しばらく自己観察してみることにします。

谷 孝祐
2018.5.23 10:24