今にある芸術としての音楽 | 3年前のしこうの楽しみ

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自分にとって音楽とは何かという課題は何度となく頭をもたげるものです。
趣味でも仕事でもない宙ぶらりんな状態です。
カテゴライズする必要もないのでしょうが定まらないのが悩みの種です。

そしていつも完全な解決は得ないままにきています。
何となく付かず離れずというところでしょうか。
合唱のおかげで久々に向き合わされたのかもしれません。

とはいえそれは自分にとっての本流とは言えません。
思い返せば音楽をしている実感も薄かった気がします。
ちなみにそれは吹奏楽でも同じことです。

もちろんそれが悪いことでもありません。
自分がやりたい方向性に合致しているかというとそれらはそうでもないというだけのことです。
どうやらそこには求めている要素があまり内在していないようです。

しかしそれがいよいよ定義づけられる時がきたのでしょうか。
音楽堂への回帰がそれを促した気もします。
なぜならその後に出てきた発想が的を得ているように感じたためです。

これは一般的な観念とは不一致かもしれません。
それでも本質をついているように思います。
いうならば音楽は時空の芸術です。

ある空間に流れる時間を彩るようなものです。
絵画に例えるのであれば空間内の空気というキャンバスにどのような時間を形作って彩色するのかということかもしれません。
当然ながらそれはその瞬間にしか存在し得ないものです。

その意味において美術とは真逆の性質を持っているとも言えそうです。
常に生まれては消え去っていくものなわけです。
なので再現性は幻想とも考えられるかもしれません。

究極的には一期一会を味わうもののように思います。
ここに意識が向くと時空との共鳴という視点が生まれました。
その裏側にある音楽を掘り出すイメージです。

結局は即興になるのでしょう。
しかしその見えない楽譜は時空に紐づけられているのです。
少なくとも過去の再現ではありません。

今ここにある音楽です。
果たしてそんなものがあり得るのでしょうか。
なかなか難しいもののように思えます。

価値も認めてもらえにくいかもしれません。
それでも主体性をもって向き合ってみる意義があるのかもしれません。
縛られない自由な音楽を描いていきたいものです。

そういうものであれば研究のしがいもあるのでしょう。

谷 孝祐
2018.3.22 17:30