前回はまずは能力発揮優先を主体的に決めることの意味について触れました。
そこから展開して決めることの話題になりました。
ちょっと脇道に逸れてしまった感じでしょうか。
しかし決めることがちゃんとできるかどうかが重要なことは確かです。
なぜなら人生全般に大きく影響を与えるからです。
決めて行動したことの蓄積が生きてきた道そのものです。
そしてこれは一生続くわけです。
そうとらえると思っている以上に真剣になるべきものなのかもしれません。
望ましい現実に近づきたいのであれば自分にとって望ましいものを取捨選択する必要があるわけです。
もしそれができなければ日常を変えていくことは難しいでしょう。
ほとんどの場合において過去からのパターンの上に乗っかってしまうわけです。
それは大概において偶発的に身につけられたものであり自分で決めたものではありません。
だからこそ与えられたもののような感覚になり無責任にもなりがちなのかもしれません。
では実際にどのくらいちゃんと決めて生きてきた感覚があるでしょうか。
真剣に決めたつもりのことですら本当に主体的であったか疑問なこともありそうです。
つまり他の選択肢が心からなくなるところまでいけていない可能性があるということです。
後から他の選択肢にすれば良かったかもしれないと感じることも世の常です。
そして案外近しい人の意見に左右されて思考レベルの有利不利に流されていたことに気づくかもしれません。
本心よりも客観的評価が優先されることもありそうです。
これらのことはよくあることでもあります。
一般的な知識に反して本音とつながった選択をするのは難しいことかもしれません。
特に周りに反対されそうなことを決めるのは労力のいることです。
そこまでして決めたいこともないというのが実際のところとも言えそうです。
一方でそれは自分と十分なコンタクトが取れていない可能性を含みます。
流されるのが習慣になっていればなおさらでしょう。
もちろんわざわざ反発を招くことが良いというわけではありません。
本当に決めることができればむしろ応援されやすくなることもあるくらいです。
ということで結果的にこれは能力を生かしやすい状況を作ります。
そしてストレスを生みにくく健康にもつながりやすいかもしれません。
どうであれちゃんと決められれば能力発揮と健康の両立に近づきそうです。
谷 孝祐
2017.10.15 5:40