魔女市場へ行ったからでしょうか。
それ以前からの刺激が臨界点に達したのでしょうか。
ふと気づいたことがありました。
人は古来から目に見えない存在を崇め奉ってきていることでしょう。
これは様々な文化圏で共通する部分だと考えられます。
むしろそのような話題のない地域の方が稀かもしれません。
ただその対象には地域差がありそうです。
とはいえ土地の精霊か動物か自然物の神性化というあたりかもしれません。
あとは実際に生きていた人物あたりでしょうか。
場合によっては同じ生物が神格化したり悪魔視されたりということもあるでしょう。
日本でいえば狐や蛇がこれにあたるのかもしれません。
こんな話は真新しくも何ともないこととも言えそうです。
ただ間違った存在を神のように扱っていることもあるのではないかとふと感じました。
何らかの存在を敬うきっかけは何らかのお願いを叶えてくれることに始まるのかもしれません。
昔でいえば狩りで獲物が取れることでしょうか。
それとも雨乞いや豊作でしょうか。
いずれにせよ食物を手に入れられるということに関係していそうです。
言いかえるのであれば生き長らえることへの願いかもしれません。
この範囲であれば問題もないのでしょう。
しかしひとたび時代が変われば願いも複雑になっていくものです。
それら一手に請け負えば一神教となるのかもしれません。
叶えたい願いは尽きないものです。
基本的には生きることから価値証明へと発展していく傾向がありそうです。
そうなればなるほど見えない存在の加担も起きやすいのかもしれません。
便乗して価値証明する方が単に食料を与えるより得るものがあると考えられるからです。
例えば自分が生きた価値の見出せない霊的存在がそれを欲するということもあるでしょう。
場合によっては人の欲望をエネルギーに生存しているものもあるかもしれません。
そういうものほど願いを叶えてくれやすいとも言えそうです。
なぜなら交換条件が成立するしやすいためです。
もしかしたら歴史がそちらに触れすぎたこともあったのではないでしょうか。
だから現代はその逆に目に見えるものにフォーカスされているのかもしれません。
とはいえ祭祀にせよ科学にせよ結局は取り入れる人間次第でしょう。
エゴの拡大は方法いかんに限らず崩壊を招くとも言えそうです。
どうであれ与えられているものに感謝する心を維持していきたいものです。
谷 孝祐
2017.9.15 16:13