数日前のことです。
朝から東海道新幹線に乗りました。
おそらく10年ぶりくらいのことです。
どことなく出張気分というところでしょうか。
世間はお盆休みのところもあり車内はまだそういう雰囲気でもありません。
空席もそれなりにあって余裕ある印象でした。
それでも何らかの集合意識に帰属したのかもしれません。
そんな感覚になったのでした。
ただよく考えると不思議でもあります。
新幹線ではないにしても出張客と同乗することは珍しくありません。
朝の飛行機で大阪に向かえば周りはビジネスマンだらけです。
しかしそこでは普段と変わりない感覚です。
となると今回だからこそ影響を受けたと言えるかもしれません。
そういうわけで何が違うのか疑問が湧いてきました。
そして振り返るとどこか非日常感があったことがキャッチできました。
空路では慣れていて完全に日常的なことです。
浮ついていたほどではありませんがどこか隙があったのでしょう。
そこでこの移動に関連する想念につながったのかもしれません。
とはいえそれが悪いわけでもありません。
どこか新鮮さを味わえたのは事実です。
流れゆく車窓の風景や微妙なカーブでの傾きが適度な刺激になったのでしょう。
これが空の旅と異なる部分です。
そしてこういうリフレッシュもありかという感じもありました。
この機会は相手に合わせての予定入ったからこそのものです。
完全なる主体的選択では生まれ得ないものです。
通常はこの区間の新幹線は個人的に乗っていて疲れるのです。
なので疎遠になっていたという背景があります。
この日もそれがなかったわけではありません。
それでも受け取るものはあったようです。
普段とは違う体験は疲労を伴っても大切にしていこうと感じました。
それにしてもこの新幹線が反対や抵抗を崩して実現したストーリーが思い出されました。
だからなのか高速鉄道の価値を以前とは違う形で認識したのでした。
世界に誇る新幹線であることを再確認したのでした。
谷 孝祐
2017.8.20 9:06