役割を渡す準備への知覚 | 3年前のしこうの楽しみ

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高速道路を運転しているときのことです。
突然いつもと違う体感覚が訪れました。
驚くというほどではないもののどこか不思議なものでした。

なんとなく自分の透明感が増したような感じだったのです。
実際にはそうではありませんが空気になったかのようとも言えるかもしれません。
とはいえ環境と一体化した様子でもありません。

別のもののままそこでの実体が減少したかのようでした。
まるで体を何かが透過しやすい状態になったかのようにとらえられました。
この知覚が生まれて間もなくある思考が生まれました。

一体何の意味があるのでしょうか。
その段階がやってきたということでしょうか。
それは自分と同等の者を育てることで次に進めるという発想でした。

内面から出てきた気づきというよりは外から与えられたような感触でした。
実際にこれがどこからきたかはともかくどこか納得感があったのでした。
思い返せばこの考え方は昔から持っていたものです。

なので概念としては古くから理解していたのでしょう。
後継者を育てることによってその役割から外れられるというよくある話です。
一般社会と違いがあるなら今回の知覚はタイムリミットがないということでしょう。

ということでその余裕にかまけていたのかもしれません。
積極的に自身に当てはめてはいませんでした。
今回の刺激でそれが自分ごとに変わったようです。

かといって何の役割を担っているのかを分かっているわけでもありません。
もちろんそこまで意識をしたこともありません。
ただ少なくとも全体にとって必要なものではあるようです。

そんなわけでそこから模索しなければならないようです。
個人という枠を超えた何かを無意識的に担当しているのでしょうか。
それを次に回していくタイミングなのでしょうか。

顕在意識では不可解なものの潜在意識ではどこか知っていた感じもします。
そうして知の循環が起きていく気もします。
本当のところは確認しようもありませんがひとまずそこに向かってみようと思います。

ひとまず受け渡すものが何なのか意識して探りながら過ごしてみることにします。

谷 孝祐
2017.8.18 18:44