難への意味づけの変化 | 3年前のしこうの楽しみ

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この2月は怒涛のように日々が過ぎ去っていったからでしょうか。
それともこの週末の疲れが影響しているのでしょうか。
もしくは思いのほか移動の大変さがあったのかもしれません。

確かに沖縄から戻る機内では珍しく少し眠ってしまいました。
そこから一転してのんびりした気分で過ごしている時のことでした。
やるべきことはあるもののあえてスローペースで行なっていました。

これだとなかなか進まないのですが力をかける気にもなれないところでした。
抵抗感はないものの抵抗と向き合いながら進んでいるかのようなゆっくりさでした。
これはどことなく楽しさを感じられるスピードでもありました。

そうしているとふとある言葉が思い浮かびました。
「一難去ってまた一難」というものです。
なぜこのタイミングで出てきたのでしょうか。

今までの状況が難であると思ったことはありません。
なので脈絡なく出てきた印象でした。
しかし自分の中のどこかはそう感じていたのかもしれません。

実際に身体的な疲労があることは自覚していました。
ということで体からの声だったとも解釈できそうです。
それはさておきこの言葉そのものに意識が向きました。

何となく本質を表している気がしたのです。
だからこそ言い伝えられているのでしょう。
ただ今までの自分にとっては実感の薄い表現でした。

難と感じることが少なかったので当然でしょう。
必要なのか何なのか今回のことで身近になった感じでした。
そうするとこの言葉が課題をクリアすると次の課題がやってくるという意味にとらえられました。

これを難と評価するかどうかは本人の自由です。
つまりあくまで主観的なものなわけです。
この気づきによって難という言葉への意味づけがはずれました。

無意識的に難は避けたいものになっていたようです。
だから感じないことにしていた要素があったのかもしれません。
ひとまず難はフラットに受け取るものという解釈にしていこうと思いました。

面白いものでこれによってタスクに対するやる気が上がったのでした。

谷 孝祐
2017.2.28 16:45