やっとのところで大掃除の目処がつきました。
あとは仕上げのみというイメージです。
本当だったらもう少し早く終えてゆっくりしたいもののなかなかそうもいかないようです。
所要時間を把握しきれていないので仕方ないのでしょう。
それに加えて体調が思わしくないのも影響したかもしれません。
初日にマスクをせずに始めたのが原因なのでしょう。
全くそこに意識が向かないままに取りかかってしまったのでした。
喉の痛みとともに夜には咳が止まらなくなる日々を過ごすことになりました。
怠さや頭痛もなくはありませんが気になるほどではなく動くことは問題ありませんでした。
風邪の症状のようですが何かが違うという様子です。
春に引っ越してきた家も掃除することから抵抗があったのかもしれません。
同時にそれは何かの変化を意味する可能性もあるでしょう。
どことなく第九の名演の影響も重なっていそうです。
そんなわけで無理しすぎないように淡々と続けました。
楽しいとは思わないまでも場が整うのは望ましいことです。
なので掃除も嫌いではないという感覚です。
目的は単にキレイにするだけでなく一年の滞りを解消することです。
ということで普段は目の向かないようなところまで手を伸ばすことになります。
端的に言うなら微に入り細に入り徹底的に汚れを落とすというところでしょう。
とにかく全ての物を移動しながら進んでいくわけです。
大きなものでは冷蔵庫を動かして置いてあった床を拭いたりもします。
だからなのかやっている途中で引っ越しの方が楽なのではないかと思ったりもしました。
それはさておき今回は掃除がまさに自己対峙のような気がしました。
棚から物を出すにも自分の持ち物の全てと向き合うわけです。
またその棚の中を拭くにも角や隅を意識して行う必要があります。
どうであれちゃんとやろうとすればそれだけ丁寧さが求められるわけです。
もしかしたら感じないことにして形だけ行うのが通常かもしれません。
でもこれだと見えないところは疎かになりがちなように思います。
普段は見えないような部分にまで気を回すことで鍛錬になるのでしょう。
今年は掃除が修行の基本であることが納得できた体験となったのでした。
同時に今さらながら新居が自分の家であるという実感が生まれたようでした。
谷 孝祐
2016.12.30 23:54