これからどうなっていくのでしょうか。
何となくこの新たな関わりは不思議な感じがします。
大学院の先生の活動へいつの間にか巻き込まれているという状況です。
夏にシリア難民の大学生向けのコンテンツ案を提示したことから今の流れが始まりました。
そのあと特に動きがなかったのですがこの12月に急展開という印象です。
実際に講義が実現することになったのです。
時間的な枠組みも決まり後戻りできなくなったというところでしょう。
こうなると一気にやらなければならないことが出てくるものです。
そんなわけで12月頭の打ち合わせで講義概要を作らなければならなくなりました。
しかし他にもやることがたくさんあってしばらく手をつけられませんでした。
先延ばしを余儀なくされたというところでしょう。
そんなわけでどれだけ時間がかかるか読みきれない中で期限だけが迫ってきました。
もちろん頭の中で内容の組み立ては少し進むもののアウトプットして整理できないままでした。
それでも不思議と焦りや懸念はありませんでした。
かといって信頼感があるわけでもありません。
この状態は初めての経験でした。
まさに何もないフラットさという感覚です。
蓋をして感じないのとさほど変わらない様子です。
違いはよりリラックスしていられるというくらいでしょう。
ここまでタスクに対して何も感じないのは異常なのかもしれないと思うほどでした。
ということで着手したのは期限の前夜の日付をまたいでからになったのでした。
2時間くらいで半分くらい終えて目処はたったものの時間がギリギリであることは確かでした。
それでも眠気が強くなってきたので寝ることにしました。
無理しないことを選択したわけです。
こんな流れで文字通りの締め切りギリギリを味わうことになりました。
自分の人生においてこれはほぼないことです。
思い返せば不安ベースで徹夜してでも完成させてから仮眠をとっていました。
その意味において精神的に図太くなったのかもしれません。
起きてから一気に追い込んで完了したのでした。
この時の集中力は必死に駆け抜けるようで普段とは違っているものでした。
とはいえ実際には必死さはありませんでした。
アドレナリンが分泌されたのでしょうか。
心地よい高揚感も伴ったものでした。
ただ終えたあとにいつになく疲れた印象でした。
そして一般的な集中はこのスタイルなのかもしれないと実感したのでした。
どうやらこの体験は他者理解に意義がありそうです。
この高揚感が生きている実感に関係することが想像できたのでした。
谷 孝祐
2016.12.20 18:09