転ぶことの習慣が意味すること | 3年前のしこうの楽しみ

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バランスの良さを感じさせる我が子の歩きですが実際には逆の側面もあります。
これは一見すると矛盾に感じられるでしょう。
歩いていてもしょっちゅう転ぶのです。

特に新しい靴になってからはその傾向が強い気がします。
どうやら少しサイズが大きいようで不安定なのかもしれません。
成長過程ではこのようなズレは仕方ないこともあるでしょう。

よく何かに突っかけているのを見かけます。
もちろんリカバリーできる時もありますがいつもそうではありません。
予想外だったりすると体の大きさに比したら大転倒とも言える時が多くあります。

さらに小走りのような歩調の時はなおさらです。
楽しそうにはしゃいでいたら不意打ちを喰らうかのような時もあります。
しかしそれで怪我をすることは今のところありません。

完全に無傷です。
大概は「ウォーゥ」と言いながらすぐに立ち上がります。
転んで頭をぶつけて泣くこともありますがそれも一過性のことです。

数分もあやせばさっきのことがなかったかのように動き出すことも通常です。
眠くなるとバランス感覚も微妙になってくるのでしょうか。
ちょっとしたことでも良く転倒しています。

そんなわけで転ぶことが日常の一部なのかもしれません。
そしてよく観察しているとうまく転んでいるようにも見受けられます。
やはりここも慣れが重要なのでしょう。

頻度が高ければなんであれ上達するのかもしれません。
ふとそんな様子から考えたことがありました。
幼少期に転んでも平気だということを身を以て体験することは大切なことだと感じたのです。

潜在意識にこれがあればチャレンジへの怖れが生まれにくいと推測されます。
同様に失敗への許容も容易にできることでしょう。
そうなると心理的に自由な状態が保たれやすいと想像します。

それは人生を楽しく意義あるものにしてくれるかもしれません。
少なくとも自分がこの子と同じ年の頃はすでに転ぶことを怖れていたように感じます。
痛いから避けたいというところだったのでしょう。

我が子にはそんな意識もなさそうです。
こんな子どもの将来がどうなるのか楽しみでもあり親としては細やかな懸念でもあるのでした。

谷 孝祐
2016.12.7 15:58