少し前のことでしょうか。
おそらく毎日のお金のワークが効いてきたのだと思います。
ふとした瞬間にあることに気づきました。
それはお金というものの捉え方についてです。
今まで投影されていた価値観がはずれたようでした。
その時は特別お金のことを考えていたわけではありません。
何をしていたかは覚えていませんがリラックスしていたことは確かです。
突然ですがナチュラルにお金はツールですらないという言葉が思い浮かんだのでした。
そしてお金を手段と位置づけていたことが固定観念だったということが自覚できました。
もちろんこれが間違っているわけではありません。
お金にその側面が強くあることは事実でしょう。
少なくとも目的の対象になるよりは真実性が高いと考えられます。
しかしその意味づけをフィックスしすぎていたのかもしれません。
なんとなくお金という概念をそこに縛りつけてしまっていたかのような実感がありました。
同時に申し訳ないような想いも生まれてきました。
そのような流れから今度はお金はお金でしかないという認識になりました。
これといった意味づけを持たないものというイメージでしょうか。
そこに付随する情報がなくなって独立性が高まったようでした。
こうなると自分にとってお金というものが理解しにくいものであったことがわかりました。
解釈を加えることでその実体を知覚したかったのかもしれません。
だからこそ妥当性の高そうな定義を採用したのだと思います。
今回はその必要がなくなったのでしょうか。
十分に理解できたということなのでしょうか。
あまりにも自然に切り替わったのが印象的でした。
そうなってからしばらく経つとこの状態が定着してきたのでしょう。
お金を水のようにとらえたわけではありませんがそのイメージに投影されることがありました。
本来は必要な分だけ得れば良いもののはずです。
有事でない限り水道から出る水を必要以上に貯めておこうという人はほぼいないでしょう。
なのに貯めるのが美徳というのは時代錯誤かもしれません。
このズレはいつ頃どのように補正されていくのでしょうか。
水の流れのようにお金の流れのインフラを整備するという発想が現状を変えるアイディアを生むようにも思います。
ひとまず自分自身はお金をありのままとらえておけるように意識していくこととします。
谷 孝祐
2016.10.28 9:18