認められるための感性 | 3年前のしこうの楽しみ

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所変わればイルカの存在価値が変わるという現実から思考が展開しました。
この視点はかなり汎用性のあるものではないかと思います。
例えば商品であってもそうでしょう。

わかりやすいところでは山の上では同じペットボトルの水が高価になるというイメージです。
もちろんサービスにおいてもそうでしょう。
地域によって出店している飲食店の傾向が異なるのはこのためだと考えられます。

いずれにせよその環境におけるマーケットの状況に左右されるわけです。
場合によっては提供者がお金を払うという逆転現象も想定されなくはありません。
そしてこれは人についても当てはまるでしょう。

その人の性質にあった場所にいれば自ずとその存在意義が認められやすくなるわけです。
このように広げて考えるとあることが見えてくるかもしれません。
それはこれが自己承認ができる度合いに影響を与えている可能性があるということです。

具体的には成長過程において存在価値を認められる環境にいたかどうが重要だということです。
もしそういう場で育ったのであれば自然と自分の尊厳を受け入れやすくなるでしょう。
これはほぼ無意識的なことと考えられます。

つまり潜在的に自分に価値があることが認められている状態が作られるということです。
しかしそうでない環境で育つと自己受容は難しくなるのかもしれません。
逆に自分には価値がないという前提が無意識に形成されてしまうでしょう。

であるなら自分の価値を認めてもらえる場所を選べるかということも重要になるはずです。
イルカで言うなら可愛がられる場所を選んで住むようなものです。
そのためには自分の心地よさに素直になることが大切かもしれません。

また苦しめば報われるというような価値観を手放すことも意味があるかもしれません。
そうすることで次第に自分が生かされる環境を選べるようになると考えられます。
ところがそうであっても安泰とは言いきれない可能性はあります。

認められていてもそれを受け入れなければ自分のものになりません。
ここが案外大きな障壁になることもあるでしょう。
どんなに賞賛されても人は素直になれないことがあるものです。

むしろ賞賛が大きいほど抵抗が強くなるとも思います。
ということは良い意味での相手の真意をそのまま受け取ることも重要になるでしょう。
とかく言動の裏の悪意以上に善意を見抜くことの方が慣れていない可能性もありそうです。

相手の言葉に縛られないだけでなくそういった感性も高めていきたいものです。

谷 孝祐
2016.7.31 22:00