意外だった最期の役割 | 3年前のしこうの楽しみ

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数日前の疲れもやっと落ち着いてきたのでしょうか。
ふと祖母の告別式の日のことが思い出されました。
そしてそれはなぜこのタイミングだったのかという疑問に発展しました。

何でわざわざ北海道にいる日に当たったのかということです。
もちろん単なる偶然で片付けてしまうこともできるでしょう。
ただ少し分析してみたくなり意識を向けたのでした。

すると突然あることが思い出されました。
これには何かに仕向けられたかのような気がするくらいの驚きが伴いました。
それはおばあちゃんの出身地が北海道だったということでした。

秋田のおばあちゃんというイメージが強く記憶の奥に埋もれてしまったのでしょう。
これは少なくとも大人になってからは一度も顕在化しなかったものでした。
さらにこの2日前にそのエリアを通過していたことも気づきました。

小さい頃に一度だけ訪れたことがあったのですが完全に忘れさられていたのでした。
またその近くのパーキングエリアで購入した食材を前日に食べたりもしていたのでした。
そんなことから見えない何らかの役割があったのかもしれないとも思います。

もちろんそんなことは自分も認識してはいませんでした。
しかし振り返ると最期にその土地とつなぐ意味合いがあったようにも感じます。
ゆかりある土地のエネルギーを運んだとでも言うのでしょうか。

そんなイメージがあるのです。
そのように考えるとなぜだか少し感極まる状態になったのでした。
もしそうだとしたら完璧なタイミングだったのだと思います。

また次の生へ向かうために少しは役立てたように感じます。
これは素直に嬉しいことでした。
同時に自分の北海道という土地との共鳴が強まった気もしました。

中学生くらいの頃はこの北の大地にある種の憧れがあったのですがそれはもしかしたら帰巣本能のようなもののあらわれだったのかもしれないと推測します。
少なくとも自分の遺伝子の記憶のどこかにはそこで暮らした記憶があるでしょう。
今までブラックボックスになっていましたがここに自分のルーツのうちの一つがあることは確かなわけです。

これを意識化して認識することは自己肯定や自己一致に必要なことでしょう。
そこでどのような生活があったのかは分かりませんが可能な範囲で掘り起こして受け取っていきたいと思います。
祖父母4名の人生をそれなりに知ることも自己理解の一端になるのだと実感したのでした。

谷 孝祐
2016.5.19 18:38