学ぶストレスへの体感 | 3年前のしこうの楽しみ

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今週は毎日大学院に通いました。
ここまで連日同じ場所に出向くのは塾講師時代以来でしょう。
何かを学ぶためというところでは高校卒業以降はなかったことかもしれません。

そんなこともありいつになく疲労感があります。
ここまで疲れた実感があるのも珍しいものです。
足以外がまるで登山後のような状態です。

少人数制の授業なので気を抜けないというのがあるのでしょうか。
確かに強制的にその場に参加せざるをえない環境です。
ディスカッションもそれなりにあり眠くなりえないような状況です。

それとも自分にとっては刺激が強いのでしょうか。
話を細部まで聞きすぎているという可能性はありそうです。
また無意識的に慣れない上下関係のようなパラダイムに縛られてしまっているのかもしれません。

先生と対等な立ち位置でいるというのはなかなか難しいものです。
だからこそそれが課題であるととらえられる可能性はあるでしょう。
少なくともマイペースではいにくいのかもしれません。

そういったこともあり勉強するというのもストレスになりうるのだということを感じます。
当たり前のようでもありますがこれを明確に実感したことはありませんでした。
むしろ今までは学ぶ楽しさにフォーカスしすぎていたのかもしれません。

それは自分の世界を広げていく喜びのようなものでもあります。
そのために疲労がブラインドになっていたとも考えられるわけです。
今は講義を通じて自分の領域に入ってくる様々な情報が何らかの圧力を持っている気がします。

まるで体を腕で押されるのと似たような体感覚での知覚です。
これは今まで感じたこともないことで面白くもあります。
だからこそどちらかというと身体的疲労に近い実感なのかもしれません。

とはいえ同時にやっと院生としてのスタートアップができたようにも感じます。
物見遊山のようではなく目的を持とうという意識が芽生えてきています。
何のために自分がその場に存在しているのかを考え始めているわけです。

これが転じて何のために生まれてきたのかというところまで発展したりもします。
でもよく思い返すと目的意識というものをそこまで明確に掴んだこともないように思います。
何となく真っ直ぐに進んできたというのが実感です。

これから潜在意識での目的を十分に顕在化させて歩むという形にシフトしていくタイミングなのでしょうか。

谷 孝祐
2016.4.23 20:15