気がつけばこの数日で桜が咲き始めました。
少しだけ咲いたと思ったら早いものです。
日に日に満開に近づく様子が伺えます。
そのスピードはあっという間にこの時期も終わるのだと感じさせます。
いつの間にか散りゆくのだろうと予想されるわけです。
また新緑の季節の到来がイメージできるわけです。
そしてその状況を目の当たりにしながらふと思うことがありました。
それは変化というものの性質についてです。
すでに十分に認識しているものの何となく実感が強まったのかもしれません。
桜の姿はそれをうまく表しているように見えるのです。
抽象概念としてとらえていたことが具象として表現されたかのようです。
開花のプロセスと同様にナチュラルな変化の顕在化というものはあっという間だということです。
それまでに蓄積した潜在的な変化のエネルギーが一気に放出されるかのようでもあります。
だからこそ劇的に感じられるのでしょうか。
いずれにせよすでに起きている目に見えない変化がある程度完了しつつある頃に顕在化するということです。
そのために意識していないと認識しないままに変化が進んでしまうのかもしれません。
まるで気づいたら桜が散っていたかのごとくというイメージです。
このように考えるときっと心の変化もそんなものなのかもしれないと思います。
自分の認識のないままに何らかの変化が起きるのが先ということです。
というよりも変化のある方が本質的に自然なのであればクリアな潜在意識には固定化されたものはないとも言えるかもしれません。
それが方向付けされて一定以上動かされると知覚できるようになるのでしょうか。
どうであれ変化の顕在意識化は後から起こるということです。
ということはそれが自分の望むものでないとしても受け入れざるをえないことを意味するでしょう。
何かを変えたいという想いが出てきた時にはすでに内面的にはその準備ができているということです。
そうであるならそこに乗っていくことが自然体とも言えそうです。
これは受け入れがたい価値観だという人もいるでしょう。
ただこれが在るべく姿のような気もします。
そんなわけでこういった自然な変化に無理な力をかけることなく生きていきたいと感じたのでした。
それにしても様々な投影をしやすいことから桜は好まれるのでしょうか。
桜という名前の歌が多いことはそれを反映しているのかもしれません。
谷 孝祐
2016.3.23 18:36