またしてもスキー検定1級に落ちました。
今シーズン3度目のトライでした。
教えてもらっている人から普通に滑れば間違いなく平気と言われていました。
それでも残念な結果でした。
そもそも自分にとってその意義を見出せないままの受験だったので仕方ないのかもしれません。
1ヶ月ほど前に落ちたときも同じことを感じましたがそれが強まりました。
しかしそこを見つめる時間的余裕がありませんでした。
というよりプライオリティが高くないために忘れてしまっていたとも言えます。
またレッスンしてもらっている人は技術系の選手なので検定と少しポイントが違うのかもしれません。
毎回同じ種目がダメなのです。
とはいえ結局のところ受かりたいという欲求や受かるというコミットメントが大幅に足りないのでしょう。
そのため検定という世界観からズレているのだと推測されます。
そんなわけで今度は忘れないうちに対峙していこうと思いました。
まず自分がなぜ検定を受けるのかに意識を向けました。
自分にとって元々スキーは楽しむものであり基礎スキーという分野は毛嫌いの対象でした。
自然の中でわざわざ細かいことを注意して完璧を目指すというのが肌に合わない印象だったのです。
この前提には数回受けた基礎レッスンの悪印象があったのかもしれません。
どこでも自由に滑れるようになることが目標でありそれが達せられるようには思えなかったのです。
そんなわけで自分で研究しつつ最終的にはモーグルに行き着いたのでした。
そしてその時に受けたアドバイスが基礎スキーをやると飛躍的に上達しそうだというものだったのでした。
そこでまず手始めに2級を受けたら難なく合格してしまいました。
そんな流れで1級も受ければ受かると言われてチャレンジすることになりました。
そんなわけでせっかくなのでここ数年は技術選に出ている選手に習うことになりました。
その結果基礎スキーの楽しさを理解できるようになり自分にとってのスキーの世界が広がりました。
これはどこでも自由に滑ることがどこでも楽しんで滑るに昇華された印象です。
しかし今回を振り返ると検定はやはりそういったものではないようです。
25人が受けましたが楽しさとはかけ離れた雰囲気でした。
もちろん緊張はあるでしょうがそもそも修行のような様子なのです。
そこに異分子が入り込んでいるような状況なのでしょう。
なので無意識に萎縮していつもの滑りができていないと推測されます。
実際に検定の時だけ気分が変わるということは周りの影響を受けているということでしょう。
このスキーに対する立ち位置の違いを認識しておくけとは重要そうです。
安易に受けた2級が受からなければ1級は興味なかったわけで他の受験者と温度差があるわけです。
ということは自分の立ち位置で臨むためにいかに検定を楽しむかという発想が重要かもしれません。
辞めてしまうことは簡単ですが少しそれを研究してみようと思いました。
谷 孝祐
2016.3.1 18:06