2015年の漢字への感応 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

お昼を食べに、とあるラーメン屋に行きました。
人気店ではあるものの、すでに遅めの時間になっていたのでほとんどお客さんはいませんでした。
何度も行っているお店ですが、これは初めてでした。

いつもは気にならないものの、この時はなぜだかテレビの音に意識を取られました。
座った場所の影響もありますが、人が少ないとここまで大きく聞こえるのかと思うほどでした。
空っぽの店内に鳴り響いているという印象でした。

ただ、ちょうど始まった番組の内容も興味を持たされるものでした。
清水寺での今年の漢字の発表を中継するものだったのです。
そんなわけで完全に意識を奪われてしまったようでした。

注文したラーメンを待ちながら、出演者の予想を見ていました。
テレビは全く見ないのに等しいので、その様子は少し面白くもありました。
ラーメンが運ばれてくると、いよいよ発表の時間になったようでした。

そして、食事をしながら清水寺の方が今年の漢字を書くのを見ていました。
正直なところ、何と書かれたのか自分は読めませんでした。
レポーターによると「安」という字だということでした。

それと共に、ふと面白いタイミングで居合わせたものだと感じました。
特に今年の漢字を意識していたわけでもないのに、発表ぴったりの時間帯に合わせてお店に行ったかのような状況になったわけです。
そんなわけで、これをリアルタイムで認識することの自分にとっての意味を考えてみることにしました。

確実に言えることは、年末であるという気分が高まったことでしょう。
同時に今年が自分にとってどんな一年だったのか振り返るきっかけになりそうです。
来年の予定が概ね決まってからは、どこか2015年という年への帰属感が薄らいでしまっていた様子でしたが、そこに一気に戻されたような感覚です。

それは今が2015年の年末であるという実感を強めてくれたようでした。
そんなわけで、今年の回想を今週中にでも進めて受け取るべきものを意識化していこうと思いました。
また、「安」という字に決まったことの自分にとっての意義も感じてみることにしました。

完全に個人的な発想でしかありませんが、最初はどことなくあまり意味を持たない漢字であるような気がしました。
他の漢字と結びつくことや文脈の中に存在することで、やっと意味が特定されるというイメージがあります。
そのように考えていると、「安」という状態はフラットで中庸なもののような気もしてきます。

あくまで勝手な推測ですが、「安い」という表現も元々はハードルが高くなくフラットな感覚に近いというニュアンスなのかもしれません。
こんな思考をしていて、「安」は完全なフラットな状態の周囲にある遊びのような部分を指しうるという推測も生まれてきました。
それと同時に、自分の中にあるこういった余地への知覚力が高まったような体感が生まれたのでした。

ちょっとした遊びのようなものでしたが、安に定る感覚である安定感というものがどのようなものなのか立体的に認識できた気がしたのでした。

谷 孝祐
2015.12.15 18:46