今生の印象的な体験13 | 3年前のしこうの楽しみ

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思い返せば濃密だったモスクワでの体験もあと少しです。
今回はこの地で一番怖れを感じたことを回想しようと思います。
ホルンレッスンの2回目はモスクワ音楽院にてでした。

それは貴重な機会で楽しみにしていました。
しかし、ある問題が起きました。
その前夜、知人の友人の家で催されたパーティーに招かれ、訪問しました。

そこでは少人数ながら盛り上がり良い時間を過ごしました。
ところが、彼が突然病気になってしまったのです。
その場で40度を超える高熱が出て寝込んでしまいました。

どうやらインフルエンザのようでした。
そんなわけで、翌日にレッスンのある自分は1人で帰らなければいけなくなりました。
深夜のモスクワの街を記憶を頼りに進んだのでした。

後にも先にもこの人生でこれほど心細かったことはないかもしれません。
こんな時に警察に声をかけられたらどうにもできないという想いもありました。
ただ、人間というものは身の危険を感じると力を発揮するのか、極度の緊張状態が強いられたものの約1時間の帰路を迷うこともなく無事に辿ることができました。

帰り着いたのは24:00を回っていて、精神的な疲れも手伝ったのか寂しい雰囲気の部屋ですぐに眠りについたのでした。
そんなわけで、レッスンの日も基本的に1人で行動することになりました。
深夜の移動に比べれば怖くはないものの緊張感はあまり緩みませんでした。

それは、生きるということに対して本気になる感覚に似ていたのかもしれません。
大袈裟かもしれませんが、何かに巻き込まれれば命を落としてもおかしくない危険を感じていました。
冬にはホームレスが街角で凍死しているのが特別ではない土地において、生きることの大変さや自分で自分の身を守る必要性を実感したのでした。

音楽院の最寄駅で急遽通訳してくれることになった人と落ち合い、レッスンは充実したものになりました。
とはいうものの、1回目ほど鮮明な記憶がないことから受け取りきれていなかった可能性が高いでしょう。
この時に意識を向けて記憶を呼び起こしておこうと思います。

レッスンのあとは再び1人での行動となり、夕方には通訳してくれた人が取ってくれたコンサートに行きました。
演奏会形式のオペラで、歌い手の声量に圧倒されつつも感動を覚えた時間でした。
この帰り道になると、いつの間にか死というものを受け入れられたのか、この状況を楽しめるようになっていました。

そして、その翌日に知人が家に帰ってきたのでした。
このように思い返せばなんらかの力に仕組まれたような気もしなくはありませんが、自主的にはなかなか選択できない重要な経験だったように思います。
帰国後2ヶ月半くらいあとに、生活がどうなっても30歳までは好きなことをして生きようと決断したのですが、今さらながらこの体験が基盤にあったことに気づいたのでした。

谷 孝祐
2015.10.9 10:42