構造的変化の感覚への影響 | 3年前のしこうの楽しみ

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ヨーロッパへ向かう飛行機が離陸してふと感じたことがありました。
回を重ねるごとにそうですが、今回も一段と普段着のままの感覚で機中の人になったような気がします。
近所に行くのと変わらない気分で着の身着のまま家を出て、空港で搭乗したわけです。

それは近所にコーヒーを飲みに行くのとさほど変わらない認識です。
もちろん荷物の準備が必要ということはありますが、慣れてしまえばそこまで考えることもなく、そこまで時間もかからずにできてしまうものです。
そんなわけで、過去においては感じていた海外に行くことの非日常感はどこにあったのかということに意識が向きました。

これは自分自身の感じ方の変化を振り返ることにもなるでしょう。
しかし、考え始めると予想外な答えが思い浮かんできました。
どうやら最近の変化にフォーカスを当てるとすれば、個人的な変化というよりも大きな構造の変化が影響している気がしたのです。

具体的には、どうやら羽田空港の国際線の利便性が上がったことに起因しているようです。
これにより、海外に行く場合も羽田空港を利用することが多くなりました。
結果的に国内旅行と同じような心持ちになりやすいと想像できます。

すでに国内だったらどこでも近所に行くような気分だったので、このことで海外もそれと同等になってきたのかもしれないということです。
どちらが本質的な真実かという議論はさておき、ここからナチュラルな感覚的な認識は客観性とは関係ないところにあることが伺えます。
ただ、海外が近くなったと感じている人達の集合無意識も加担しているような気はします。

住んでいる場所にもよりますが、事実成田より羽田の方が行きやすい人が多いでしょう。
自分は今年になって都内に住まいを移したこともあり、そこに同調しやすい状況であることは確かです。
これもまた構造が変わったことの影響と言えそうです。

事実、車で渋滞がなければ羽田空港まで30分以内、渋滞していてもよっぽどのことでもなければ40分程度というところです。
今回は7:50起床で、出発2時間前の8:40にチェックインを済ませました。
意図せずとも無駄な時間は全くありませんでした。

こう考えていくと、自分にとっての非日常は時間効率の悪さと不慣れなストレスの中にあったことが推測されます。
その両方がないために、移動しても自分の状態の変化は少ないのでしょう。
この結論に至って、自己同一感の高まりも寄与していることに気づきました。

ともかく、どういった構造に身を置くかという選択は、どのように感じられるかを想像以上に左右するかもしれないと思ったのでした。

谷 孝祐
2015.8.26 14:32