前回、積み木遊びの記憶についてふれました。
そして、特に考えたこともなかったものの想像よりも今の性質に影響が出ているのだということが認識でき、乳幼児期の自分と少しつながったような気がしました。
そんなこともあり、今回はそこからの展開を回想したいと思います。
これもいつはじまったのか明確な記憶はありません。
幼稚園に入る前だったのでしょうか。
積み木の遊びはいつしかブロックでの遊びに変わっていきました。
これもよくあることと言えばそうでしょう。
おそらく、最初のうちは口に入れても飲み込めないようなサイズだったような気がします。
なんとなくですが、口に入れると積み木よりも固くて痛かった感覚が、その頃に意識を向けることで微細ながら呼び起こされます。
こうして、遊び道具が口に運ぶ対象ではなくなっていったのかもしれません。
きっと嫌な感じがして食べるものではないことを理解したのでしょう。
そして、次第に積み木よりもブロックの方が好きになっていったように感じます。
理由は単純で、作ったものが簡単には壊れないからということだった気がします。
違う側面でいうなら、作ったものをそのまま移動できるということでもあります。
きっと潜在意識にある何かを投影して、いろいろなものを作ってみようとしていたことでしょう。
この点において、積み木よりも自由度が上がった感覚が残っています。
また、この時に様々な試行錯誤をしたのではないかと推測します。
自分の思った通りのものを作ろうとやってみて、うまくいったこともあれば、そもそも手持ちのブロックでは不可能だったこともあったのではないかと考えます。
今思えば、この遊びによって集中力が身についていったと言えそうです。
この遊んでいた頃の状態を呼び覚まそうとすると、今の自分よりも集中していたようにすら感じるのです。
それくらい没頭していた感覚が残っているということです。
子どもの時間感覚でいうなら、かなり長い時間この遊びに費やしていたことでしょう。
もしかしたら、リラックスしたまま集中するという体験をこの頃に積んでいたのかもしれません。
このあたりはあくまで推察の範囲ですが、このように考えると納得感が生まれます。
あらためて子どもの頃のささやかな遊びは重要だと実感しました。
それとともに、自分の子どもの遊びがどうなっていくのか興味が出てきました。
谷 孝祐
2015.7.30 17:36