理想の食のイメージ | 3年前のしこうの楽しみ

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自分が本心から求めている食が認識できたのを受けて、内面にある情報の整理の必要性を感じました。
全身全霊において満足がいく食事というものは奇跡的な体験でしょう。
それを求めている度合いが強ければ強いだけ潜在的な不満も生まれるわけです。

そのため、食にその投影をやめることが健全だと言えるのかもしれません。
到底得られないものを求めてしまうという性質を変えた方が良いということです。
だからといって、求める気持ちを否定したりなくしたり、求めること自体をやめたりという方法ではありません。

つまり、理想を追い求めることはやめないままに、理想に一切囚われないバランスをとれるようになるというイメージです。
ひとまず、そのために自分の食に対する理想をもう少し具体的に明確にすることにしました。
理想というものは、しっかりとらえられればとらえられるほど実体感が伴うものになり、客観的評価が行えるようになるものです。

そうすると、結果的にその実現可能性も認識しやすくなるでしょう。
そう考えると、自分の理想を今までちゃんととらえずに、幻想の中でそれが与えられるものであるかのように期待していた可能性を感じます。
それはともかく、理想の食に意識を向けてみると完璧な共鳴が起きるものであることだということが顕在化しました。

それは、少なくとも、そこで使われる食材を生み出した土地や環境と、その食材そのものと、その食材の生産者と、その流通の過程で関わった人をはじめとする様々な要素と、それらを一つの料理として作り上げる人と、その完成品とも言えるものを食す空間や時間と、それを取り巻く文化と、その全てを受け取るべく食する人の状態と、そういった複合的なハーモニーが生み出されるかどうかということです。
こう考えると、やはりなかなか人為的に生み出せるものではなく、人智を超えた領域のものでもある気がします。
そうであるなら、最低限自分ができる範囲である受け取れる状態を保つことだけにフォーカスして、結果を手放すことが良いでしょう。

ひとまず、この方向で試してみようと思います。

谷 孝祐
2015.4.23 16:45